知青文学 Zhīqīng Wénxué

知識青年文学

ちしきせいねん・ぶんがく


 「知識青年」略して「知青」の「上山下郷運動」は、本来1950年代中期に、都市の高等小学校、初級中学校を卒業しながらも、就職や進学のできない人口の増加してきた現実と、農業協同化運動のなかで教育を受けた青年が多く必要とされたという現実に基づいて、都市の小中学校卒業生を農村に帰らせ、農業生産活動に従事させようとしたことに始まるという。
 「知識青年」というのは、そのような都会の初等、中等教育を終えたレベルの若い人々をさす言葉であった。

しかし現在ではもっぱら文化大革命の1968年頃から、毛沢東の「知識青年は農村に行って、貧農下層中農から教育を受けよう」という呼びかけに呼応して、自分からすすんで、あるいは流れに流されて、半強制的に辺鄙な農村や山村に籍を移し、農作業に従事したり、荒地の開墾をしたりしながら、農村生活の厳しさを体験した運動をさすことが多い。

 「知識青年文学」といわれるジャンルは、詩や小説作品が中心であるが、そのほとんどは、この下放体験の苛酷さ、つらさと、そういうなかで、革命の理想を実現しようとがんばる若者の姿を描いたものである。

 また文化大革命収束後、都会に戻ってきた青年たちが、下放時代の苦難を回想しながら、そこに革命の理想と現実、追求と挫折を描き出した作品も多い。 中には共産党幹部の官僚主義や腐敗汚職、権力を利用した若い女性へのセクシャルハラスメントなども描かれている。

 そのあまりにも非人間的な体験を赤裸々に描いた作品は、政府の検閲を受け、削除されたり、出版できなかったりした。

 しかし政府の政策の幾度かの方向転換により、彼らに課されていた文学的制約も変化し、次第に以前には描くことが許されなかったような事柄が作品に書かれるようになってきた。

 「老三届」と呼ばれる1966、1967、1968年度の初級中学、高級中学、大学の卒業生すなわち紅衛兵世代の彼らが「知識青年文学」の担い手であり、読み手でもある。

 代表的な作家を挙げるとすれば、張抗抗韓少功賈平凹張承志王安憶鉄凝梁暁声路遥張曼菱、老鬼、陸天明、陸星兒など多数である


作成:青野繁治