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Hoeflichkeitsformen

敬意表現

話し手が相手との間に円滑な人間関係をつくり、これを維持しようとして、「敬意」や「親しみ」を込めて用いる言語表現。日本語には、話し手と相手との社会的・心理的な関係を明示的に表現する敬語体系があり、「敬意表現」の語形規則が存在すると言えるが、ドイツ語には、「敬意」の表現としてのみ用いられる語形の体系はない。僅かに呼称のうち、人称代名詞のSie とduが「敬称」・「親称」として区別されているが、現在Sie はもっぱら距離を示す表現として用いられており、相手への「尊敬の念」を表すものではない。また、今日duは極めて広範に用いられており、必ずしも相手に対する「親しみ」を表すとは言えない。更に、->Konjunktiv(接続法)Iを用いた要求表現のSeien Sie ruhig!を敬意表現と呼ぶこともあるが、最近の経験的調査によれば、教室などの特定の場面以外では、このような表現は殆ど用いられないことが明らかとなっている。

 敬意の問題を単に言語上の問題としてでなく、人間の社会的な相互行為という文脈の中で考察したのはゴッフマン(Erving Goffman)である。また、ブラウンとレビンソン(Penelope Brown and Stephen Levinson)は、デュルケーム(Emile Durkheim)の積極的・消極的儀式という概念を敬意に応用し、相手に対する共感・好意・関心を示す「積極的な敬意」と、相手をいたわり、相手の負担を軽減しようとする「消極的な敬意」とを区別した。他方、リーチ(Geoffrey N. Leech)はグライス(H. Paul Grice)の「協調の原理」にヒントを得て、これを補うものとして「丁寧さの原理」を提唱している。リーチはまた「絶対的な丁寧さ」と「相対的な丁寧さ」を区別しなければならないことを唱えている。これについては、ブラウン(Friederike Braun)がより具体的に、相手や場面にふさわしい表現が丁寧である、という場合の丁寧さと、コンテキストに依存しない丁寧さがあることを指摘している。たとえば、「わざわざ、本当にありがとうございました」という表現は、コンテキストを考慮しなければ丁寧であるといえるが、もしもこの表現を夫婦ゲンカ中の配偶者に用いたとしたら、決して丁寧な表現とはならない。むしろ、皮肉になってしまうであろう。

ドイツ語のHoeflichkeitsformenを具体的な調査の対象として捉える場合、まず第一に考えねばならないことは、ドイツ語の「hoeflich」という概念と日本語の「敬意」という概念が必ずしも1対1に対応する訳ではない、という事実である。そもそも「hoeflich」とは、宮廷の作法にかない、上品で、礼儀正しく、洗練された態度を意味していた。それ故この概念は、相手に好意を示し、相手の希望に沿うように親しみを込めて振舞うことをも含意する。これに対して日本語の「敬意」とは、もっぱら相手を敬い、失礼のないように一定の距離をおいて振舞うことを意味し、「親しみ」や「歩み寄り」は含意しない。この「敬意」と「Hoeflichkeit」の内面的な違いを無視して、単に表現のレベルでのみ比較することは短絡のそしりを免れないであろう。また、「敬意」もしくは「Hoeflichkeit」の程度の差を、一つの尺度に基づいて測ることにもかなり無理がある。「尊敬の念」と「距離」、「社会的な上下関係」と「場面の形式性」等、敬意をもたらす要因が極めて多様だからである。これらを考慮しつつ、状況や相手に依存したドイツ語の「敬意表現」をどのような方法で記述してゆくかは、今後の課題である。