ディボフスキー・アレクサンドル

第二外国語としてのロシア語教育への私見

A.ディボフスキー

私の考えでは、異文化は氷山のようなものであり、言語はその氷山の見える部分であって、母語以外の言語を学んでいけば、その氷山の見えざる部分を徐々に把 握することができ、異文化空間のからくりを悟ることができる。言語が変われば、人々の関係や相互作用のシステム、世界への態度や自身への態度、価値観や世 界観が変わったりする。そのため、外国語学習は、異文化を理解するための重要な鍵であり、文化的な「他者」との出会いは、自国の価値観のシステムを再発見 するための強力な刺激になる。
ロシア語を外国語として学ぶことは、まず文字と発音、語彙と文法を学び、ロシア語コミュニケーション能力を養うことであり、それと同時にロシア文化の「氷 山」の見えざる部分を発見し、そのからくりを理解し、日本でも年毎に増えていく異文化の人々と共存する能力を養成することであると思う。すなわち、ロシア 語学習は、ロシア文化空間を開発するための道具であり、ロシアを始め、異文化と共存するための手段でもあり、世界に3億人ほど存在するスラヴ人の諸文化へ の糸口でもある。
このように、外国語教育は、見知らぬ文化空間を発見し、新たな地平線を切り開くための手段である。それと同時に外国語教育は、個人の能力を伸ばし、パーソ ナリティを発達させるための強力な動具でもある。すなわち、外国語教育は、グローバル化時代におけるパーソナリティ形成の重要な要素であると私は考えてい る。
外国語教育において各種の教材は、欠かせないものであるが、思うに、教材は、人間にとって洋服みたいなものであり、各学習者の欲求に合わせないといけない もので、教育者ストラテジーとしては、学習者のニーズと欲求を最大限に尊重し、学習者のニーズに合うような教材を作り、学習者の個人的な意味に合うような 教育を行うことに気を配っていく。
教育活動は、やむを得ず、試験を伴う。試験の役目は、学習者の知識を計り、教育の効果を計ることであるが、試験は、学習者に多くの心理的負担をかけ、スト レスを惹き起こすものである。可能な限り、このストレスを軽減するよう、学習者の理解度や到達度を毎回の授業の平常点によって評価する方針である。
最近の日本の若者には、楽しく勉強するという欲求が高いようで、授業でアニメーションや人気歌謡を使ったり、クイズ形式の課題を与えたり、ジョークやアネ クドートを読解の資料として使い、聞き取りの資料としても、やはり人気歌謡のテキストを使ったりするのが効果的である。異文化をリアルに把握できるメディ アの一つは、映画芸術であるので、名作映画のシナリオを教材として使い、映像資料や傑作映画を通してロシアの文化空間を覗いていくという方法も役立つ。
このように、学習者のニーズや欲求を重視しつつ、ロシアの現実のありとあらゆる側面を授業で話題にしたり、文学・芸術・スポーツを始め、マスカルチャーやサブカルチャーにいたるまでのことに注目してロシア語教育を実施していくのである。

ロシア映画鑑賞レポートより