Mu Shiying 穆時英
(1912−1940.6.28)


穆時英小伝:

 ペンネーム伐揚、匿名子。浙江省慈渓の人。幼年時、父に附いて上海に移住。上海光華大学中文系を卒業。1929年『新文藝』に小説を投稿。大学時代から小説の創作を始め、「黒旋風」「南北極」などが文壇の注目を集めた。1935年葉霊鳳と『文藝画報』を共同編集。抗戦期には一度香港に流亡する。1939年上海に戻ったが、翌年暗殺される。その作品は「中国新感覚派の聖手」と称えられた。短編小説集『南北極』『公墓』『白金的女体塑像』『聖処女的感情』などがある。長編小説『中国行進』は出版されなかった。

(『?』)


 1912年に浙江省慈渓の中産階級の家庭に生まれる。父親は上海のある銀行の高級職員であった。10歳のとき穆時英は父に従って上海に移住している。中学生のとき大量の文学書を読んだ。15歳のとき父親が株で失敗し家庭が没落する。穆時英は人生の浮き沈み、俗世間の波風のなかで辛酸をなめ、それがその後の創作に大きな影響を与えた。1929年穆時英は上海光華大学中国文学系に入学。銭基博先生の授業に出たが、毎学期とも落第であったという。穆時英の才能も興味もそこにはなかった。彼は外国のモダニズム文芸に注目し、モダンな小説技巧の「実験と鍛錬」に夢中になっていた。1930年2月、彼の処女作「ロ自們的世界」は、世に出ると、すぐに好評を博し、比較的大きな反響を呼んだ。それ以後5年間に、彼は次々に『南北極』『公墓』『白金的女体塑像』『聖処女的感情』と4冊の短編小説集を出版した。後の三冊は手法上の新しさから、穆時英に「新感覚派の聖手」という美名を獲得させたのである。
 1933年の夏、穆時英は大学を卒業した。ほどなく父親が世を去り、家庭の境遇はますます悪くなったため、それに刺激されて、思想は日に日に消沈し、演芸場やダンスホールにしばしば出入りするようになり、芸能や博打に溺れるようになった。1934年、『晨報』の文芸副刊『晨曦』の編集人となった。これは潘公展の牛耳る新聞で、そのため穆時英は国民党寄りになったと、一般に見なされるようになった。それから彼は上海市図書雑誌審査委員会のメンバーとなり、これは文壇の非難と議論を引き起こした。1935年、黄嘉漠、劉吶鴎らと左翼映画界に「軟派映画」「硬派映画」という論争を引き起こし、一貫して派閥抗争に介入しなかった穆時英も、初めて議論に巻き込まれ、「映画批評の基礎問題」「当今の映画批評の検討」などを書き、「映画快感論」を鼓吹、映画の社会的価値は「芸術的価値によって決定される」と称し、映画の政治的傾向性に反対を唱え、「映画批評は芸術批評の大道に向って進む」という観点を提出した。彼は左翼映画には深刻な「贋リアリズム」「意識検討中心主義」の傾向があると見なした。そこで彼は左翼映画界の強烈な反撃を蒙ることになった。それ以来、穆時英は人々のイメージの中では、国民党の一御用文人となった。
 1936年4月、穆時英は個人的用事で香港に行った。最初は二週間の滞在の予定であったが、結果的に2年近く留まることになった。その2年間に、彼はあちこち職を求めたが、生計は逼迫し、上海への望郷の念が日に日に募って行った。1938年に彼は「懐郷小品」の中で、香港に行ってほぼ7ヶ月たつと、毎晩のように同じような上海をなつかしむ夢を見た、と書いている。
 1939年3月、穆時英は許地山、戴望舒らとともに中華全国文藝界抗敵協会香港分会の成立大会に出席した。同年11月、香港を離れ上海に戻っている。1940年、穆時英は『国民新聞』など汪精衛系の新聞の編集に当たったが、6月に上海の租界で刺殺された。その原因は国民党特殊工作員の漢奸に対する処刑であると見なされている。しかし1973年香港の『掌故』月刊に発表された文章によれば、穆時英が汪精衛系の職に就いたのは、「中統」の派遣によるもので、その文章の著者も当事者の一人であったという。すなわち穆時英は「軍統」によって誤って殺害されたのであり、「二重特務制度の犠牲者」なのである。穆時英の香港時代の言動と当事者の発言は一致しており、この説は理にかなっている。

(『海派文化長廊・穆時英小説全編・導言』学林出版社1997 より)


作品集・単行本

『南北極』現代書局 1933.1.20初版/7.1再版/2001-3000/0.75元
『公墓』現代書局 1933.6.15/0.70元
『白金的女体塑像』現代書局 1934.7.20/1-1500/0.70元
『聖処女的感情』上海良友図書印刷公司 1935.5.20/0.60元
『南北極』上海復興書局 民国25(1936)年8月/0.36元
『南北極 公墓』人民文学出版社 1987.5/1.65元
『南北極 白金的女体塑像』全二冊 九洲図書出版社 1995.7/22.5元
『中国新感覚派聖手・穆時英小説全集』中国文聯出版公司 1996.5/22.80元
『海派文化長廊・穆時英小説全編』学林出版社 1997.12/27.00元

         

邦訳


作成:青野繁治