1922年秋、二十歳に満たない杭州宗文中学の学生戴夢鴎(戴望舒)、張無諍(張天翼)、宗華中学の学生戴シ条源(杜衡)、及び之江大学の学生施青萍(施蟄存)によって組織された文学社団藍社は、1923年元旦、社誌『藍友』を出版した。旬刊の細長い新聞形式で、千字前後の小説を主に掲載した。編集及び発行所は清吟巷7号にあるメンバーの孫弋紅の家に設けられた。
藍社のメンバーは推理小説の執筆に熱心で、鴛鴦蝴蝶派的旧文学の傾向があった。彼らの依頼で、程小青が「偵探小説和科学」、趙●狂が「偵探小説和滑稽小説」(共に『藍友』第13期に発表)を書いている。戴夢鴎も「説偵探小説」(『藍友』第5期)を書き、長篇の冒険小説『珊瑚島』(『藍友』第11、16期)を翻訳した。張無諍は『珊瑚島』(『藍友』第5期)や幽霊怪奇小説「頭等車室」(『藍友』第13期)、長篇連載推理小説「十八号」を創作した。
5月9日に出版された『藍友』第12期は、もともと「偵探号」に決まっていたが、たまたま5月9日が国恥記念日に当たるため、「国恥特集号」に改められ、戴夢鴎が「国破後」、張無諍が「亡国奴之死」、孫弋紅が「両個紀念日」、葉秋原が「死後」を書いた。
さらに、張無諍は豪門の醜態を暴露する小説「無光珠」(『藍友』第7期)、「夜宴記」(『藍友』第17期)、社会の暗黒を暴露した小説「博士」(『藍友』第8期)を書き、施青萍は長篇連載小説「紅禅記」を書き、『藍友』第10期から連載を始めている。
『藍友』は第15期に、「藍社叢書」8種の予告を掲載した。そこには、戴夢鴎の『心弦集』、施青萍の『紅禅集』、張無諍の『紅葉別墅』、李伊凉の「苧蘿村」などが含まれていたが、結局出版を見なかった。
『藍友』は1923年7月1日に第17期を出版した後、停刊となった。その後は『芳藍(蘭?)』を出版している。
(参考書)『中国現代文学社団流派辞典』(上海書店1993.6)