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Zweitspracherwerb und Richtigkeit

「共生日本語」と「共生日本語」教育

ここでは、多言語の言語的共生化という視点から、「共生日本語」と「共生日本語」教育の概念を明らかにする。さらに「共生日本語」に関する問題点を考える。

?多言語の言語的共生化

岡崎(1994)は多言語の言語的共生化を「言語間共生化」と「言語内共生化」という二つの側面が考えられると指摘する。まず、「言語間共生化」とは

従来単一(または少数の)言語が使用されてきたコミュニティに外国人が新たに住民として参加し、その結果複数(多数)の言語が共生関係を構成していく過程を指す。(岡崎1994)

これに対して、「言語内共生化」とは、

母語話者と様々の非母語話者が相互のインターアクションの過程を作り出し保持していく中で、双方の側が双学習過程を作り出し、その言語を共生のための言語として新たに形成していく協働的過程である。(岡崎1994)

「言語内共生化」は「言語間共生化」と相互に連動し、下記のような性格を有している。

? PLURALISTIC(複数主義) MODEL

? ADDITIVE BILINGUAL(加算的二言語併用)MODEL

? ALTERNATION(交替)MODEL

?「共生日本語」

上述の「言語内共生化」の概念に基づいて、発話行為の相互的協働の過程で使われる日本語を「共生言語としての日本語」あるいは「共生日本語」と呼ぶ。岡崎(2002)によると、「共生日本語」は日本語母語話者の頭に内在化された日本語ではなく、母語話者と非母語話者の間で交わされるやりとりを通して場所的に創造されていく日本語である。この論点から見ると、「共生日本語」は従来のように「日本語母語話者の日本語」を規範としモデルとして外国人学習者にそれを習得させることではなく、ネイティブ・ノンネイティブといった言語能力による力関係を取り除いた上で、コミュニティ成員間でなされるコミュニケーションの成立・保持・育成を目指した創造的な過程である。同時にその各過程が協働によって参加成員が共に学習していくことである。

?「共生日本語」教育

上記のような「共生日本語」の概念を日本語教育に当てはめることによって、旧来の日本語母語話者を「規範」にして外国人学習者にそれを適応させようとする同化要請としての機能を洗い流すことができるであろう。「共生日本語」教育は日本語の先生が一方的に教えるのではなく、協働的なコミュニケーションの実践の場を作り上げ、日本語母語話者であるか否かにかかわらず、学習者が共にお互いに歩み寄りながら相互を理解し、共生言語としての日本語を創造することを目標としている。そうすることによって、お互いが豊かになっていく。

?「共生日本語」と「共生日本語」教育の問題点

「共生日本語」の構想は、従来の日本語教育を違った観点から見直し、現在の日本の地域活動のあり方に重要な視点を与えるものと思われる。ただし、岡崎(2002)は「共生日本語」と母語話者同士による「母語場面の日本語」という二種の日本語を想定しており、これでは「母語場面の日本語」をより正当なものとして温存していることになってしまう、という問題が指摘されている(牲川 2006)。

また、「共生日本語」はあくまでも日本国内のコミュニティを構成する日本人と外国人との間で日本語が用いられるようになっていく過程を取り上げるものであって、海外での外国語としての日本語教育(Japanese as a Foreign Language )にこの「共生日本語」の構想が適用されるのかどうかも考えなければならない。(文責:執筆時 科目等研修生 許雅欣)

参考文献

岡崎敏雄(1994)「コミュニケーションにおける言語的共生化の一環としての日本語の国際化」―日本人と外国人の日本語―」『日本語学』vol.13 pp.60-73

岡崎 眸(2002)「内容重視の日本語教育―多言語多文化共生社会における日本語教育の視点から―」岡崎眸(編)科学研究費補助金研究成果報告書『内省モデルにも基づく日本語教育実習理論の構築』pp.322-339

大平未央子(2001)「ネイティブスピーカー再考」野呂香代子・山下仁『「正しさ」への問い−批判的な社会言語学の試み』pp.85−110

西口光一他(2007)「共生を育む地域日本語活動に向けて」『大阪大学21世紀COEプログラム「インターフェイスの人文学」研究報告書2004−2006』第6巻pp

牲川波都季(2006)「『共生言語としての日本語』という構造−地域の日本語支援をささえる戦略的使用のために」植田晃次+山下仁(2006)『「共生」の内実』pp.107-125