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Idiolekt

個人語

Idio+lektの合成語。ギリシア語のidios「個人・固有・私有」とlexis「談話」に由来する。方言や社会方言などと同じく、ある個別言語の中の一変種。

1948年、ブロック(Bernhard Bloch)によって初めて構造言語学に導入された用語で、広義では、ある個人の言語所有、及び言語行動様式(言語発話)の総体を指す。ブロックによれば、ある個人はその生涯において複数の異なる個人語を用いることがあり、また、同時に複数の異なる個人語を用いることも可能である。狭義では、ホケット(Charles F. Hockett)のようにある個人の言語所有のみを指し、もしくは、マルティネ(Andre Martinet)のように個人の言語発話、即ち言語体系の個人的な実現のみをを指す。更に個人語は、社会的なものであれ、地域であれ、あるいは心理的なものであれ、ある話し手を他の話し手と峻別する言語上の特殊性の総体を示すこともある。

アメリカの言語学では、変種を、方言、社会方言、個人語のように段階づけているが、各々の変種の間に明確な境界線を引くことは困難である。それは一つには、各々の変種が相互にオーバーラップしているからであり、また、話し手は相手や場面、もしくは話すテーマに依存しつつ、コード切り替えによって異なる複数の変種を用いるからである。個人語もまた他の変種と同じく、静的な性格ではなく、動的であり、ある特定の個人に限定しても、相手や場面によって発話に差異が認められる。それ故その研究方法も、ヤーコブソン(Roman Jakobson)のいう「動的共時態」を考慮にいれなければならない。例えば、オクサール(Els Oksaar)は、4つのコミュニケーションの領域、即ち、極めて親密な領域、親密な領域、一般的な社会的領域、形式ばった公的な領域を区別し、各々の領域における個人語の差異を捉えようとする。その結果、同一の個人であっても、母親、もしくは教師、あるいは上司としての役割を果たす場合、それぞれ差異が認められた。ここでの個人語を捉える上での方法論は、「いつ、誰が、誰に対して、どのような意図で、如何なるコミュニケーション手段を、どのように用いて、どのような成果を挙げたか」を解明することにある。ダイグロシアの場合の個人語の規定や非言語的行動様式における個人語の取扱の問題など未解決の問題もあるが、社会言語学にとって、個人語の研究は、言語の非均質性を明らかにする上で重要な領域である。