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春夏秋冬

 


図1「春夏秋冬」、小篆。
 春、夏、秋、冬の語源と字形について考えてみよう。このうち、秋の字形に関しては学者間で大きな見解の相違が存在し、問題も複雑である。春、夏、冬に関しても若干の異説が存在するが、特に大きな問題はない。
 「春」の小篆は「艸」と「日」と「屯」から構成され、「屯」は意味【若芽が大地を破り頭をのぞかせた様】と発音 [tɕhiuən] を兼ねる。
 「夏」の小篆は「人の頭部+横向きの体+両手+両足」からなり、『角川新字形』は「夏祭りの舞の姿」を描いた字形であるとする。おそらく、中原地域に居住し、夏王朝を興した特定部族の夏祭における舞姿なのであろう。注1
 「秋」の語源と字形には諸説があり、問題も相当に複雑である。後で郭沫若の説を発展させた何九盈教授の分析と落合淳思著『甲骨文字小字典』の分析を紹介してみたい。
 「冬」の小篆は「冫」と「夂」から構成され、「冫」は「氷>寒冷」を表し、「夂」は「末端>四季の最後」という意味と発音 [tuəm] を兼ねる【三省堂漢辞海】。
 「冬」は「終」の旁としても使用されている。「終」は後発の字形で、古い形は「冬」から「冫」を取り除いた字形になっている。「冬」の外枠は甲骨文【図5】から判断すると、何か——一説に「撚り合わせた糸」——を吊るしてその末端を強調した図案である。
 「秋」の語源と字形に移ろう。
 秋の現行の字形は小篆【左図】の偏と旁が入れ替わったものである。現行の字形とは異なり、小篆では「火」が左にあって偏となり、「禾」が右にあって旁となっている。
 さて、字形はさておき、小篆は秋という概念を「禾」と「火」でもって会意しているわけだが、これで合点する人はどれくらいいるだろうか。
 小篆より古い大篆(「籒文」とも言う)の字形では、一見、爬虫類らしき奇妙な動物が「禾」と「火」に加えられている。これは「亀」にまちがわれたこともあるが、決して亀ではなく、図7に見られるコウロギ(?)が変化したものである。と言うより、なにかの手違いで昆虫が爬虫類にまちがえられたと言ったほうが正しいのだろう。亀の小篆は左図の通りで、甲骨文は図6である。
 では、甲骨文の創造者は、一体どのように考えて「コウロギ」と「火」をもって秋という概念を表そうとしたのだろうか。何九盈著『汉字文化学』は甲骨文字以前、甲骨文字、大篆の三段階に分けて、字形の構成と変遷を解説している。

一、〔コウロギ>秋〕コウロギを指す語/字〔擬音語に由来する〕をもって秋を表した〔『説文解字』に見られる「帥+虫」がそれである可能性が大きい〕。

 何九盈教授に先立つ郭沫若の説を紹介する。

亀の属に角を有するものは絶えて無し。且つ字の原形もまた亀に似ず。其の亀に似て甚だしくは誤ちて亀の字となすに至るは、乃ち隷変のみ。今案じるに、字形は実は昆虫の触覚を有するもの、即ち蟋蟀の類なり。秋季を以て鳴き、其の音は啾啾然。故に古の人は字を造るに、文は其の形を象り、声は其の音を肖す。更に借りて以て其の鳴くの季節を名づけて秋と曰く。蟋蟀、古の幽州の人は之を「趨織」と謂い、今の北京の郭沫若著《殷契萃編》、考古學專刊甲種第十二號、科學出版社、1965年。人は之を「趨趨」と謂う。蟋蟀、趨織、趨趨、すべて啾啾の転変なり。而して其の実は即ち〈左図〉の字なり。

 「啾啾」は現代語では文章語における擬声語として用いられ、小動物〔特に小鳥〕のか細い鳴き声を表す。

二、〔コウロギ+温度の変化〕地上のコウロギと天上の西に沈み行く火=去り行く暑気で秋の到来を会意した〔甲骨文〕。注2
三、〔コウロギ+温度の変化+作物〕秋の収穫を表す「禾」を加えた〔大篆〕。

 落合淳思著『甲骨文字小字典』は何九盈教授と大きく異なる分析を行っている。

図2「春」。甲骨文。高明、涂白奎編著『古文字類編』増訂本、上海古籍出版社、2008年。以下同じ。

図3「夏」。金文。

図4「冬」。金文。

図5「終」。甲骨文。

図6「亀」、甲骨文。

図7「秋」。甲骨文。

 同書は、虫はコウロギではなく、秋に穀物につく害虫であり、火は穀物の収穫後にワラごと害虫を燃やすワラ焼きの火であると分析する。確かにこの方が生活に密着し素直であると感じる。ただ、このような構成であれば、「虫」が字形から消えてはなおさら元も子もなく、なぜ図7の甲骨文字のように「上に虫、下に灬」という字体で落ち着かなかったのかと、疑問がふくらむ【「炙、然、羔」など参照】。また、秋収の時期を秋分頃とすれば、立秋と秋収の間に処暑と白露が挟まり、一ヶ月半ほどのタイムラグが存在する。この辺り、ちょっと気にかかる。注3

注1 CCTVの制作で、2009年に放映された『汉字五千年』は「夏」について、「字形は徒手裸足の人が野良仕事にいそしむ様であり、本義は太古の時代、黄河流域の中原一帯に居住していた民である。彼らはおそらく農耕に秀でていた」と説明している。
注2 『詩経』の「豳風「七月」」に何度も「七月流火」という句が見える。「火」即ち「大火星」、二十八宿のうちの「心宿」。和名「なかごぼし」、さそり座のα星【アンタレス他2星】。「七月流火」は旧暦七月になって大火星が西に沈み始めることを言う。暑気が退き、まさに涼しくならんとする候である【何九盈著『汉字文化学』より抜粋】。
注3 もちろん、殷代の気候は黄河流域に象が生息するほど温暖であったらしいので、当時の春秋の概念を現代から推し量ることはできない。