ZhōngLǐhé 鍾理和


鍾理和小伝:

1915年に屏東郡(俗に「新大路関」と呼ばれる)生まれる。幼年期に日本語の教育と共に、私塾で中国語の教育を受ける。1932年に美濃に移り住み、笠山農場を経営、そこで 鍾台妹と知り合う。1938年に同姓不通婚の為に鍾台妹との結婚を阻まれ、単身瀋陽へ渡った。1940年に台湾へ帰り台妹を連れ、韓国経由で中国東北地方へ赴いた。1941年に北京にもどり、1946年に妻と長男の鉄民と共に難民船に乗り、帰台。しばらく内埔国中で代用教員を勤めたが、すぐに肺病の悪化の為に病院と郷里を行き来する生活となる。1960年に中篇小説<雨>を改訂中に喀血して死亡する。

 張良澤氏は「鍾理和全集」を編集するにあたり、「血の海に倒れた執筆家」と喩えた。「 鍾理和全集」には、≪夾竹桃≫≪雨≫ 做田≫≪笠山農場≫≪鍾理和書簡≫≪鍾理和残集≫が収められており、全八巻である。

(『台湾作家全集・短編小説巻/戦後第一代②』前衛出版社1991年)


作品集・単行本


    
作成:池上里子