Yáng Kuí 楊 逵


楊逵小伝:

本名は楊貴。1905年台南新化鎮生まれ。ペンネームは楊貴建文など。少年時代に噍吧哖虐殺の影響を受け、次第に民族意識に芽生える。1924年日本に渡り文学を学ぶ。マルクス及び無政府主義の影響を多大に受けた。1927年台湾に戻って農民運動に従事。代表作である「送報」は東京の『文学評論』で2位に入選し、台湾の文学作品が日本の文壇に出現する先駆けとなった。1935年『臺灣新文學』を創刊する。七七事変勃発後、首陽農場に戻って農業を営む。日本が敗戦を迎えるまで積極的に台湾社会再建に身を投じ、文学に関わり、『臺灣文學叢刊』を創刊した。1949年「和平宣言」に署名し、国民政府に12年の刑を言い渡された。その後、台中の東海花園で蟄居。(軟禁生活を送る)1985年3月12日台中にて逝去。享年81歳。作品集に『鳥の嫁入』(日本語)『新聞配達夫』(中国語・日本語)『鵝媽媽出嫁』『羊頭集』『不扁的玫瑰花』などがある。

(『 台湾作家全集・短編小説巻/日時代』前衛出版社 1991年)


作品集・単行本


 
作成:廣瀬文子