Lin Haiyin 林海音
(1918- )


林海音小伝

 林海音、女性作家、本名を林含英といい、原籍は台湾の苗栗である。
 1918年3月18日に大阪で生まれた。3歳のとき台湾の実家に戻り5歳のとき父母について祖国の北京に戻り、椿樹上2条胡同、新簾子胡同、虎坊橋、西交民巷、梁家園、南柳巷、永光寺街、南長街等に住んだ。広甸北京師範大学附属小学、私立春明女子中学初等中学を卒業した。後北平世界新聞専科学校に受かり、卒業後世界日報の記者、編集者になった。
 1948年台湾に行き台北に定住した。翌年国語日報の編集者となり、併せて文芸性週刊《週末》の編集主幹のになった。初期の作品の多くは、《公論報》や《自由中国》という雑誌に載せられた。台湾民族郷土に関するあらゆる短文は国語日報や民族報に多く載せられた。後中央日報の文芸欄週刊誌《婦女と家庭》に投稿していったが、多くは身の回りの細々した事を歌った散文や女性問題を描いた小説であった。1953年12月から1963年4月までストップし連合報《連合文芸欄》の編集主幹をつとめ、また台湾本土の作家を指導、育成する中で新人作家を抜擢するなどして貢献した。
 1955年に第一号の文集《冬青樹》が出版され、それには1950年から55年の間、中央日報の文芸欄や同報の《婦女と家庭》の文芸欄、新生報の《新生婦女》並びに自ら編集による連合文芸欄上に発表した散文、エッセイ、主観的に描いた小説が収められた。1957年11月雑誌《文星》が創刊され、海音はその編集者を勤め、また併せて台湾世界新聞専科学校の教職員にも勤めた。
 1959年長編小説《暁雲》を出版、現実主義と西方の現代主義とを結合した手法で、台湾の現代の町の生活と恋愛悲劇を描いた。翌年《城南旧事》が出版され、その中には、自分が子供であった時代を背景とした作品七つが収められ、子供の観点から人の世の中を描いた物語である。彼女が言うには、「私は子供の頃住んだ北京城南の景色や人々をとても懐かしんでいます。私は自分に言いました。ーそれらを書き記そう、実際にあった子供の頃の過去や、心にある少女時代を永久に残せるように・・・こうして私は一冊の本《城南旧事》を書きました。ここにある何篇かの関連性のある話を集めたもので、読者の方はくれぐれも本当か嘘かなんて尋ねないで下さい。私はただ読者の方と懐かしい少女時代の心情を少し分かち合いたかっただけなのですから。」
 1960年台湾省教育庁児童読書小組が招聘され《中華児童叢書》を編集し、文学類を担当した。“国立編訳館”を台湾国民小学校低学年の国語の教科書の執筆人とした。1956年アメリカ国務院の招待に応じアメリカを訪れ《作客美国》の一冊を書いた。1967年1月に創刊された月刊《純文学》の編集主幹となった。翌年には純文学出版社が成立し、純文学叢書を出版する際に、「あなたが私たちのどんな本を買ったとしても、騙されたと思うことはないでしょう。どんな本もみな読みがいがあります。」と自称した。彼女が編集して以来、出版界には業績と貢献を残し、読者や作者から深い敬愛を受け、”老編”とか出版界の“常青樹”と尊称された。彼女の作品の多くは、家庭を背景にして、心理的なものから繊細な描写までさまざまである。短編小説《燭》;《金鯉魚的百褶裙》などを製作し何度も各小説選集に収められた。彼女は同時に熱心的な児童文学作家であり、作品の中に《蔡家老屋》、《不怕冷的企鵝》等の児童作品がある。全台湾書店から出版され、子供の読者達に喜ばれた。他にも《中国豆腐》など多くの作品がある。


作品集・単行本

『城南旧事』
『暁雲』
『孟珠の旅程』
『春風』
『婚姻の物語』
『燭芯』
『緑藻と咸蛋』

 

邦訳

『城南旧事』杉野元子/訳 1997.4.20/本体1800円



作成:奥田英幸