オンライン現代中国作家辞典

Lài


頼和小伝:

 1894年生まれ。小説家、詩人。本名はLai He 頼河。台湾彰化出身。台北医学校に学び、卒業後は故郷彰化に頼和医院を建て医者として開業する。1917年に厦門へ渡り、博愛医院で二年間働く。五四運動の影響を受け、人民の文化と知識を啓発し民族自決を勝ち取ることの重要さを感じ、1919年に台湾へかえって医者をし貧しい人を無料で看ながら、同時に政治運動と文化啓蒙運動に身を投じた。かつては台湾文化協会で理事を担当していた。1923年捕らえられ入獄する。翌年出獄したあと張我軍らと台湾新文学運動を呼びかけた。1925年8月に『台湾民報』で散文『无題』を発表し、台湾新文学史上の重要作品と認められた。同年10月にはサトウキビをつくる農民が団結して日本植民統治者に反抗するのをたたえた詩『覚悟の犠牲』をかいた。1926年1月台湾で最初の白話小説『斗閙熱』を発表すると同時に日本警察の犯罪行為をあばいた小説『一竿の“秤ちゃん”』を発表し、民族運動の中にある妥協し譲歩する傾向に対して、台湾の同胞に抗争に備えるよう呼びかけた。1927年に台湾民衆党の幹事となる。1930年友人と『現代生活』という雑誌を創刊する。その間続けて長詩『離散曲』、『南国哀歌』、『低気圧の山頂』を書く。1932年に『台湾新民報』学芸部をまとめ、『惹事』、『豊作』などの作品を創作した。1934年張深切ら三十八人と台湾文芸連盟を結成。1941年いわゆる思想問題が原因でまた捕まり、翌年出獄した。文学創作は旧体詩から始め、その後新詩や散文も書いたが、小説が最も大きなものとなった。一生あくまで中国語を使って書き、写実主義の創作方式にこだわった。

 

 本名は 頼河。1894年4月25日彰化に生まれる。ペンネームには懶雲、甫三、安都生、灰、走街先などがある。幼き頃より漢文を学び、 古典文学の基礎を固めた。1916年彰化に頼和医院を建て医者として開業し、救世の生涯を始める。1917年厦門に赴き、博愛医院に勤める。1921年、台湾文化協会に加入。1923年12月治警事件により捕らえられ入獄。1925年第1作新詩『覺悟下的犠牲〜寄二林事件的戰友』を発表する。これより先、積極的に台湾新文学の創作に打ち込んだ。1941年12月再び入獄する。約50日の間に獄中にて「獄中日記」を記す。病気が重くなり、出獄。1年後、心臓病にてこの世を去る。享年50歳。

                       

 (『台湾作家全集・短編小説巻/日據時代』前衛出版社 1991年)


作品集・単行本

『頼和先生全集』台北明潭出版社、1979
『頼和短編小説選』時事出版社、1984

作成:頼留美・廣瀬文子