Zāng KèJiā 臧克家

ぞう・こっか

(1905- )


臧克家小伝:

 山東諸城の人。18歳以前は胶東半島の農村で過ごした。1923年に済南の省立第一師範学校に入学、五四運動の影響を受け、詩作を学んだ。
 1925年処女作『別十與天罡』が『語絲』に掲載される。1926年秋、軍閥の反動的統治に憤り、密かに武漢にいき、中央軍事政治学校に入学した。反動軍閥夏斗寅討伐戦役に参加したことがある。大革命失敗ののち、東北に逃亡した。
 1929年国立青島大学補習班にはいり、新詩「黙静在晩林中」を発表。1934年、国立山東大学中文系を卒業。在学中、新詩創作において、聞一多、王統照の激励と援助を受けた。
 1932年『新月』4巻7期に発表した代表的な詩作「難民」は、農民の悲惨な遭遇を描き出したものである。1933年には最初の詩集『烙印』を出版し、「1933年文壇の新人」とされた。この詩集に収められている「老馬」という詩は、くびきにつながれた老いた馬を象徴として用い、旧中国農民の肉体に課せられた重い苦難を概括している。 これに続いて、『罪悪的黒手』『運河』という二冊の詩集と長詩『自己的寫照』を出版した。「罪悪的黒手」という詩は、帝国主義の宗教的外皮に覆われた罪悪的実態を暴露し、労働大衆の変革の力を熱く歌い上げたものであった。
 臧克家の詩は、現実生活を内容とする素朴で清新な風格をもって出現し、広範な注目を集めた。芸術表現の面では、古典詩歌や民歌に学び、素朴、真実、含蓄、精錬を追求している。
 1936年に中国文芸家協会に参加した。
 抗日戦争勃発後、前線において5年間の苦しい生活を送った。1938年中華全国抗敵協会に参加。『従軍行』などの詩集を出版しているが、この時期の詩には強烈な愛国の激情がある。1942年秋、重慶に至り、「文協」の活動に参加、翌年、長詩『古樹的花朶』および詩集『泥土之歌』などを出版した。
 抗日戦争勝利後、上海で『文訊』月刊および『創造詩叢』を編集し、政治諷刺詩集『宝貝兒』『生命的零度』を出版。1948年末に国民党政府の圧迫にあい、香港に逃亡。
 1949年3月、北平に到達、7月に中華全国文学藝術工作者代表大会に参加。以後、華北大学文藝学院研究員、中国作家協会書記処書記、『詩刊』編集長などの職を歴任。党、指導者、社会主義革命、社会主義建設を賛美する詩を書いて、『歓呼集』『凱旋』などに収めた。また『学詩断想』『毛主席詩句講解』(周振甫注釈)などの理論書、随筆集を出版した。
 「四人組」失脚後は、詩よりも散文を多く書き、『臧克家詩選』を二度修訂したほか、散文集『懐人集』『詩與生活』『臧克家抒情詩文選』などを出版した。
 現在、第7期全国政治協商会議常務委員、中国作家協会顧問、『詩刊』顧問、中国ペンクラブ会長などをつとめる。

(『中国現代作家大辞典』 新世界出版社 1992)


作品集・単行本



参考書

『臧克家評傳』 張恵仁/著 能源出版社 1987.4/3.10元


作成:青野繁治