Yudafu 郁逹夫
(1896−1945)


郁達夫小伝:

 小説家、散文家、詩人。本名郁文、字(あざな)達夫。浙江省富陽の人。3歳の頃に父親が他界、一家6人は貧しい生活を送る。早くから古典文学に親しみ、のち嘉興府中学、杭州府中学、杭州育英書院で学ぶ。杭州育英書院在学中に辛亥革命勃発、帰郷する。

 1913年、日本へ渡り、東京第一高等学校予科、名古屋第八高等学校医科、東京帝国大学経済学科で正式な国費留学生として学び、当時クラスメイトであった郭沫若とであう。この頃より、毎日日記をつけること、書籍を買うことが習慣化し、生活費を除くほとんどの公費を書籍購入にあてる。多くの外国文学、哲学名著を読み、マルクス、レーニンの著作に触れる。

 1921年、郭沫若らと共に創造社を発起、組織する。1922年、帰国後「創造季刊」「創造週報」「創造日」「創造月刊」の編集に携わる。それに前後し、安徽公立法政専門学校、北京大学、武昌師範大学、広州中山大学にて教鞭を執る。北京では冷遇されるものの、魯迅と出会い影響をうける。1927年、創造社を脱退。1928年、魯迅と共に月刊誌「奔流」を編集、外国文学の紹介に力をそそぐ。1930年、中国自由大同盟の発起、成立にかかわる。また、一度は中国左翼作家同盟に参加。1933年には、中国民権保障同盟に参加、上海分会執行委員をつとめる。同年、杭州へ移る。1938年、武漢へ赴き抗日救亡工作に参加、軍事委員会政治部第三庁設計委員をつとめる。同年末、香港、南洋群島一帯へ渡り、抗日愛国宣伝活動に従事。またシンガポールの「星洲日報」副刊の編集者や「華僑周報」編集長、文化界戦時工作団主席、および抗日連合会主席をつとめたこともある。シンガポール陥落ののちスマトラ島へ亡命。日本語に精通しているため、日本憲兵の通訳をつとめ させられるが、この時期多くの華僑を助けたため、のちこのことが原因となり、日本憲兵によって逮捕、1945年殺害される。享年49歳。

 建国後、人民政府により、“「民族解放」事業のための殉難烈士”と追認される。
 筆名:文、達、旭、日帰、春河釣徒、超廉、TDY,YDT。


作品集・単行本

『郁達夫全集』郁達夫, 王映霞著 大衆書局
『瑣言猥説』香港人間書屋
『瓢兒和尚』郁達夫[他]著 上海中華書局 1935
『達夫代表選』上海全球書店, 1939
『閑書』良友図書公司 1941
『郁達夫南遊記』温梓川編 世界出版社
『薇蕨集』北新書局 1947
『過去集』実用書局, 1966
『奇零集』實用書局 1966
『論郭沫若的創作道路』 聞一多, 郁達夫著 華夏出版社, 1967
『郁達夫遊記』上海書店 1980
『郁達夫文集』生活・読書・新知三聯書店香港分店編輯部, 花城出版社編
   生活・読書・新知三聯書店香港分店,1982
『郁達夫小説集』浙江人民出版社, 1982
『郁達夫小説集』浙江文藝出版社, 1985
『現代小説一代宗師,郁達夫小説全集』郁達夫著,楽斉主編-- 中国文聯出版公司, 1996


邦訳

『郭沫若・郁達夫集』 松枝茂夫/編訳 平凡社 1962

研究書・参考書

『郁達夫――その青春と詩』 稲葉昭二/著 東方書店 1982
『郁達夫――悲劇の時代作家』 鈴木正夫/著 研文出版 1994
『スマトラの郁達夫――太平洋戦争と中国作家』 鈴木正夫/著 東方書店 1995


作成:西村美香