Xu Dishan 許地山
1893-1941




許地山:

 名は賛坤、字は地山、幼名は叔丑、行四、筆名は落花生。

一 、 学歴
許地山は台湾に生まれる。日清戦争後、一家は大陸へと渡る。私塾で儒教、歴史を勉強する。13歳の時、広東韶午講習所を中退。再び、随官学堂に入り18歳で卒業。19歳の時、福建省第二師範学校の教員となる。年を隔て、ヤンゴンの華僑が設立した共和学校の教師とななる。1915年帰国し、福建省第二師範学校で教鞭を執る。
1917年、燕京大学に入る。当時<新青年>、<少年中国>の刊行物があり、加えて十月革命が勃発、新文化、新知識が湧き起こっていたため許地山はむさぼるように勉強した。
1919年五四運動が起きる、許地山は雑文を書き、講演し、学校の代表として会議に出席。デモに参加、運動の急先鋒となる。
1920年燕京大学にて文学士の学士を取り、大学に留まりアシスタントを勤める。1921年、茅盾ら十二人と発起して”文学研究会”を組織し、また<新社会>を発行した。1922年燕京大学宗教学科を卒業し、神学士の学位を取る。同年アメリカのコロンビア大学に留学し、文学修士の学位を取る。アメリカでの生活に慣れなかったため、1925年イギリスのオックスフォード大学に留学、その間、宗教比較学を研究し、インド哲学や人類学等を研究し、文学学士の位を得る。帰国時インドに短期滞在する。インド哲学、仏教学、サンスクリット等を研究する。1927年燕京大学に赴任し、同時に北京大学、清華大学等で教鞭を執る。

二 、 台湾へ
1933年、中山大学に招かれる。台湾に回り道をし故郷と長年離れていた親友を訪ねる。台湾に留まっていた父の妾や叔父達を訪ね、地山一家の昔の家も訪ねた。台湾同胞は日本帝国の統治下、三十年余り共通の敵に対して敵愾心を燃やし、民族の英雄鄭成功の延平郡にある社の線香の火を終始盛んに燃やしてきた。中山大学で教えた後、再びインドに行きインド哲学、サンスクリット等を研究した。一年後に帰国する。

三 、 香港で
1935年、一二九青年革命運動が起き、抗日の形勢を強く感じさせる。当時燕京大学では新旧の中華全国学生連合会の闘争が激しく、地山は燕京大学学長スチュアートと一致せず解任される。香港大学の教員となり、清の八股文が主だったのを、新たに文、史、哲の三系をたて、文学院を改革する。在職7年。
1935年〜1941年、香港での救国運動の情勢が高まる。多くの作家、文芸家が香港に集まった、例えば、茅盾、胡愈之、徐悲鴻等、みんな文教組織を拠り所に、民族の戦争のために奉仕した。このため、地山は抗日救国に対する一歩進んだ認識を有し、前途が明るいとを信じた。彼は地下党の支持のもと、先頭を切って売国奴の文化と闘争し、国民党の反動的な文化活動と闘争した。当時彼は中華文芸抗敵協会香港分会を取り持ち、各組織と教育の仕事を展開した。国民党が皖南事件を起こしたとき、彼は蒋介石に電報を送り、団結と休戦を呼びかけた。厳しい闘争を経て、彼の過去の消極的な人生観は消えていった。
香港大学で彼は教師としての質と量を高めるために、日本語、ドイツ語、フランス語を学び、自然科学の書籍を閲読した。この他、新文字運動を提唱し、反対派と論争を行った。彼は中国式表音ローマ字を文字改革の最終目的とすることを主張した。又、彼は大変な子供好きで有名だった。
1941年8月4日、地山はついに過労のため、心臓が停止した、わずか49歳であった。

四 、 著作
彼の著作のほとんどは労働人民をたたえ、搾取階級を風刺し非難するものである。初期の作品(「命命鳥」、「綴網労蛛」)は宗教の影響が深く、悲観的色彩が濃く、独特の風格があるが文章のスタイルはごちゃごちゃしている。
彼は抗日民族解放運動に参加したことで、一つの変化を迎える。生来の悲観的な性格は人に助力することを楽しみとするものへと変わり、精神的に鍛えられ、彼の文章の風格や題材も変化した。彼は後期作品(「女児心」「帰途」「春桃」)の多くで社会生活の矛盾を大胆にあばきだした。
許地山は愛国主義と民主主義の精神に富んだ作家である。彼の書いた小説は話の筋が複雑で、伝奇性に富み、読者の好評を博し、文学史上一定の影響を残した。
この他に児童作品、詩歌、劇本、エッセイを書き、多くのインド故事を訳した。仏教、道教の著作に「道教史上集」「扶箕迷信的研究」があり、「インド文学」「ダーリ集」「アヘン戦争史料」なども書き記した。

(『許地山伝略』 周俟松著)


作品集・単行本

『歸途』.....................上海書局 , 1974
『許地山選集』......許地山著,茅盾主編 開明書店, 1952
『綴網勞蛛』......... 東方學出版社
『許地山選集』.....(上)人民文学出版社 , 1982
『許地山選集』.....(下)人民文学出版社 , 1982
『許地山選集』.....香港文學研究社 , 19--
『許地山選集』.....新藝出版社 , 1958
『許地山』.............. 許地山著,周俟松,向雲休編 三聯書店 , 1982
『綴網労蛛』......... 許地山著,張新穎編 珠海出版社 , 1997


邦訳

松岡純子「翻訳:命命鳥」『許地山研究』一号 福岡中国書店

作成: 篠崎桐也