sha ting  沙 汀




 
 
 

沙汀の小伝

   沙汀の本名は楊朝煕  四川省立第一師範学校卒業後、楊子青に改名。沙汀という名は彼が1932年に出版した短編小説集≪法律外的航線≫後に≪航線≫に改名)のなかで使われたペンネームである。彼はまたすでに発表していた短編≪電報・自由談≫ 短編小説集≪孕≫のなかで伊光というペンネームを使っていた。
    沙汀は1904年12月19日に四川省安県の没落した地主家庭に生まれる。安県は、山に囲まれた開けていない土地である。彼の父は前清の役人廩生で、彼が5歳のときに、50畝の田畑と家を一つだけ残し、この世を去る。このころから、沙汀の家族は没落の一途 をたどるのである。沙汀は7,8歳のとき、母親が借金をして老先生が開いた私塾で学ぶ。後に叔父が(かれもまた没落地主階級出身である) 辛亥革命時の四川同志会議中に、当時の反清的哥老会組織に参加し、徐々に地位を築いていった。このために、この苦しい家庭状況が改善されていくのである。沙汀が12歳の時、叔父と代表封建軍閥勢力の官庁との間に対立が生じ、武装することになる。この時、沙汀は叔父を助け、外地へ知らせを届けたり、小型武器を運んだり、常に県城、小都市や村の間を出入りしていた。このため、四川農村の反動的基本政権や地主豪紳に対する民間秘密結社及びその他の各種社会勢力の形状をだんだんと熟知するようになる。沙汀は少年時代を一定の場所で過ごしていないが、同郷の各種広範囲の社会階層と接する生活は20代後半の青年時代までずっと続いた。この段階の生活は彼の後々の創作における基盤となった。
  沙汀は1922年に成都に行き、四川省立第一師範学校に入る。学業中、“ 五四”新思潮に触れ始め、大革命開始後には、いつも≪中国青年≫、≪向導≫等の雑誌や上海大学の講義を閲読し、郭沫若翻訳の河上肇の≪社会組織と社会革命≫、ツ代英翻訳の≪共産主義ABC≫等社会科学著作を研究するようになる。省立師範学校在学中、彼はまた学友艾蕪との関わりにより、新文芸に興味を持ち始め、魯迅や郭沫若の大部分の訳書を読んでいる。師範学校を卒業後、彼は、魯迅先生の講義を受けるために北京大学を受験するため、北京へ向かう。しかし、試験の期間が既に過ぎており、また魯迅先生も南方に行っていたので、彼は北伐軍攻が武漢を攻めているときに、四川へ帰る事になる。  1927年夏、沙汀は中国共産党に参加し、そして故郷に戻り国共合作を基礎とする国民党県党部の準備および実行の仕事に携わる。後に、  蒋介石の反逆革命で、形勢は一変し、変わって安県共産党投資部の計画建設の活動に携わる事になる。                                                                                                                                                               (『中国当代名作家小伝』 代芸術出版社 1990.6)
 

    沙汀(1904〜)

    現代小説家。本名を楊朝煕、楊子青という。かつては尹光のペンネームを使っていた。四川省安県出身。1922年に成都省第一師範学校に入り、五四新思潮に触れ、魯迅作品やマルクス主義の雑誌や書籍を閲読し始める。また、クラスメートである湯道耕(艾蕪)と一緒に文学を研究し、新文芸に対して興味を覚えはじめる。1926年、卒業後、北京大学を受験するために北京へ行く。しかし、魯迅が既に北京を去り南方へ向かったことを聞き、その上、受験の時期が既に過ぎていたので、すぐに四川へ戻り、中国共産党が指導する地下革命活動に参加するようになる。1929年には、上海で同郷である任白戈や楊伯凱等の数人と辛墾書店を共同経営し、この時から世界文学名著を大量に読み、     、チェーホフや芥川竜之介などの作品も研究し始め、10月革命後のソ連″同路人″の作品も広く読みあさった。1931年、文壇に入り、同年11月には艾蕪と一緒に魯迅に手紙を出し、小説の題材について教えを求めた。1932年には中国左翼作家連盟に入り、″左連″の委員を務め、同年の後半には″沙汀″のペンネームで、第一作目の小説集≪法律外的航線≫、これに続いて≪土餅≫≪苦難≫≪祖父的故事≫等数作品出版した。これらの作品の多くは四川省の農村で抑圧された人々の苦難の生活や、純朴な精神、及び封建統治者やその使い走り的な卑しむべき笑うべき行為を描いている。1938年には、何其芳と下之琳と一緒に延安に行き、毛沢東の接見を受け、また魯迅技術学院文学部主任を勤めた。この後、賀龍に従い晋西北の和冀に向かう中で、著名な伝記文学≪随軍散記≫(すなわち≪記賀龍≫)を書いた。1940年には重慶に行き、皖南事変後故郷に戻り、解放まで(1949年中華人民共和国成立まで)執筆活動に従事した。抗日戦争時は、沙汀の創作の高揚期で、≪磁力≫、≪播種者≫、≪獣道≫等短編小説を出版、中篇小説≪闖関≫、長篇小説≪陶金記≫、≪困獣記≫、≪還郷記≫を創作した。彼は自分の筆力を国統区の暗黒面や、醜い社会現象の批判にむけ、新、旧との固執や、抗戦、改革を妨げるすべての不良現象を明るみにしている。そして、そこに壊滅的な笑いを投じている。彼の作品の多くは風刺、喜劇的な色彩を持つ。題材に対して深く、細かいところまで掘り下げている。新中国成立後、沙汀は四川省文連主席、中国作協四川分会主席、中国社会科学院文学研究所所長、中国作家協会副主席などの職を歴任した。この時期に、≪過渡≫、≪風浪≫、≪夜談≫、≪戸★家秀≫等短篇小説やスケッチを書いた。1977年の冬、中篇小説≪青楓坡≫を発表した。現在、≪沙汀短篇小説選≫等が世に出ている。

                                            (『中国現代文学辞典』 華岳文芸出版社 1988.12)


作品 単行本

 1.沙汀選集 / 沙汀著 -- 文學出版社 , 1956. --
   2.沙汀 / 沙汀著,張大明編 -- 三聯書店香港分店 , 1984. --
   3.淘金記 / 沙汀著 -- 人民文学出版社 , 1982. --
   4.沙汀短篇小説集 / 沙汀著 -- 人民文學出版社 , 1953. --
   5.過渡集 / 沙汀著 -- 人民文学出版社 , 1979. --
   6.困獣記 / 沙汀著 -- 人民文学出版社 , 1963. --
   7.青棡坡 / 沙汀著 -- 人民文学出版社 , 1978. --
   8.還郷記 / 沙汀著 -- 人民文学出版社 , 1959. --
   9.困獣記 / 沙汀著 -- 人民文学出版社 , 1963. --



其成:島田 知美