Ai Wu 艾蕪


艾蕪小伝:

 作家。本名は湯道耕。四川省新繁県の小学校教師の家に生まれる。学費免除の成都第一師範に入学するが、自己発展への思いは止みがたく、二五年夏、半工半読(働きつつ学ぶ)の実現を信じて師範を中退、放浪の旅にでる。昆明紅十字会での雑役夫、中国ビルマ国境の木賃宿での馬糞掃除などの下働きを経て、二七年秋、ラングーンに到るが、職はなく投稿に依拠した生活を送るようになり、マレーシア共産党員として反帝活動にも参加する。三一年春、ビルマ農民暴動支持の言論のため英国政府より強制退去を命じられ、六年余りの放浪に終止符を打つ。帰国後、上海で師範時代の同級生沙汀とともに本格的な創作活動に入り、三二年春、左連に加盟、デビュー作「人生哲学的一課」(三二)で注目を浴び、以来、放浪時代の体験を基に最下層の民衆の真実をさりげない筆調で描いた好短編を数多く発表、短編集に『南行記』(三五)『夜景』(三六)などがある。抗日戦が始まると、湖南での教師生活を経て、三九年に桂林に行き王魯彦らとともに文協桂林分会を開設、理事として尽力する一方、『秋収』(四二)『荒地』(四二)などに収める大後方の農村の抗日意識を扱った短編を精力的に発表、また文学志望の青年のための『文学手冊』(四一)、散文集『雑草集』(四〇)、『翻訳小説選』(四二、アイブ選註)と幅広い活躍を見せる。解放戦争記は重慶地区に住み、厳しい検閲をかいくぐって、長編『故郷』(四六)『山野』(四八)、中篇『豊饒的原野』(四六)で農民に内在する反抗精神を描くとともに、自伝小説「我的幼年時代」(四八)『我的青年時代』(四八)などを発表する。建国前後、一時創作を中断するが、五二年に鞍山製鉄所に派遣され、創作活動を再開。以後北京に留まって、都市労働者の新生活を題材に短編集『夜帰』(五八)、長編『百煉成綱』(五八)を著す。五八年入党。かつて餓えをともにした雲南辺境の人々の新生を『南行記続編』(六四)として出版した。文革中は四川にあって迫害を受けるが、七七年から創作を再開、八一年には再度雲南辺境に行き、『南行記新篇』(八三)を発表した。全創作を包括した『艾蕪文集』(八二・・・)が刊行されている。現在は四川笑文連の名誉主席、作協顧問。

(『中国現代文学事典』東京堂出版)


作品集・単行本

『夜歸』作家出版社 1958
『艾蕪選集』人民文学出版社 1959
『百煉成鋼』作家出版社 1962
『山野』作家出版社 1962
『南行記』作家出版社 1963
『南行記續篇』作家出版社 1964
『文學入門』中流出版社 1966
『南行記新篇』云南人民出版社 1983
『漂泊雑記』雲南人民出版社 1982
『文學手册』新文學研究社 1976
『艾蕪』胡徳培編 三聯書店香港分店 1984
『艾蕪短篇小説選』人民文学出版社
『艾蕪文集』四川人民出版社 1984−1989
『中国抗日戦争時期大後方文学書系』艾蕪/主編 重慶出版社 1989


邦訳

『山峡中』竹内 好/訳
『鴉の歌』油谷志津夫/訳 博文堂出版社 1972

作成:津野健一郎