Zhāng Xiánliàng
張賢亮
ちょう・けんりょう
(1936-  )


張賢亮自伝

 私は1936年12月南京のある没落官僚の家庭に生まれた。祖籍は江蘇省[目于]貽県である。抗日戦争期間は四川省重慶市で小学校に通っていた。抗日戦争勝利後は家族とともに南京に戻り、中学校に行った。
 1951年北上、北京で学校に通った。高級中学卒業後は、大学に受からなかったので、当時まだ非常に遅れていた西北地区に志願して、甘粛省賀蘭県の農村で記録係となった。
 1956年甘粛省幹部文化学校に転属となり、文学担当の教員をした。1957年「反右派闘争」中に発表した詩歌「大風歌」によって「右派分子」と誤認された。それ以来、労働改造、管制、拘禁の生活が22年に及ぶ。次から次へと懲罰期間がやってくる合間に、ある農場で農業労働者もしたし、流浪生活も乞食の生活も経験した。
 1979年名誉回復、再び作品を発表しはじめる。1980年寧夏文学藝術界聯合会に転属になり、編集の仕事から始めて、後に専業作家となった。現在、中国作家協会主席団委員、寧夏文学藝術界聯合会副主席、寧夏作家協会主席である。
 1983年中国人民政治協商会議全国委員会委員に選ばれた。
 1984年招かれてノルウェー、スウェーデン、デンマークを訪問。1985年には米国に招かれて、アイオワ「国際創作プロジェクト」に参加した。

創作談――伝統に立ち返り、世界に手を伸ばす

 文学作品の味わい、意境、情趣を強調し、作家が精神世界において外部世界の多色、多声部、多次元、多面的な性質を反映するよう要求することによって、文学作品を「自然に回帰」させることは、ずっと中国の美学的伝統における民族的特徴であった。今になって、一貫してリアリズムと浪慢主義の創作方法を守りつづけてきた中国の当代作家たちは、西洋のモダニズムからも芸術的手段を吸収することができるようになった。我々は伝統に立ち返るとともに、両手を世界に伸ばしはじめた。中国当代作家のこのような二極分離は自己のカバーする精神的領域を広げた。さらにこの広いカバー領域内で、我々は分厚い芸術的、哲学的修養を積んだ。世界人口の4分の1を占める中国人の文学は、総体から言って、必ずや世界文学の前列に立つことになるだろう。

(『中国当代作家百人傳』求実出版社1989)


作品集・単行本

『張賢亮選集二』百花文藝出版社 1985.9/4.40元
『張賢亮選集一』百花文藝出版社 1985.10/3.50元
『男人的一半是女人』中篇小説 中国文聯出版公司 1985.12/1.25元
『張賢亮選集三』百花文藝出版社 1986.4/5.70元
『感情的歴程』中篇小説集 作家出版社 当代小説文庫 1987.11/3.10元
『早安!朋友』中篇小説 明窓出版社 1988.4 再版/港幣20元
『張賢亮代表作』中国現当代著名作家文庫 黄河文藝出版社 1989.8/6.60元
『張賢亮愛情三部曲』中篇小説集 華藝出版社 1992.11/11.40元
『小説中国』論説 経済日報・陜西旅游出版社 1997.11/20.00元
『無法蘇醒』中・長篇小説集 経済日報・山東文藝出版社 1998.3/22.00元
『青春期』中・短篇小説集 経済日報・陜西旅游出版社 1999.12/15.80元

        

参考図書

『張賢亮小説論』高嵩/著 四川文藝出版社 1986.5/1.67元
『評《男人的一半是女人》』寧夏人民出版社 1987.8/3.30元

 


邦訳

『男の半分は女』北霖太郎/訳 二見書房 1986.8/\1300
『早熟』北霖太郎/訳 二見書房 1986.11/\1300
『緑化樹』野沢俊敬/訳 響文社 1989.8/\980(本体\952)
『土牢情話』大里浩秋/訳 日本アジア文学協会・めこん 1993.3.5/\2000+税\60

   

作成:青野繁治