オンライン中国作家辞典

Zhōu Kèqín
周克芹
しゅう・こくきん


周克芹小伝:

 1936年旧暦9月13日、四川省筒陽県石橋鎮に生まれる。家は貧しかった。父親は店員をしており、 後に商売を始める。6歳で私塾に入り、8歳で改めて鎮の福音堂小学校に入る。11歳で中学の試験に 通り、入学する。1949年、中学を卒業しないうちに、全国が開放される。鎮の商業は上況で、生活が 困難であったため、父親は一家を連れて地方へ移居した。土地改革の際、家屋と土地を分け与えられ た。1952年、親戚の家の商店がある成都へ徒弟奉公をしに送られた。1953年、成都農業技術学校の試 験に通り入学、初級クラスから高級クラスまで、6年間学び、1958年の秋、卒業した。1957年から、 かつて党報に投書した「右派言論《を弁解し、学校から「思想が上合格、活動は割り当てられない《 と決められ、卒業後すぐ田舎に帰り農業に従事する。村で教師を経験し、生産部隊および人民公社の 幹部を経て、20年後、1978年県で活動に参加、県の党委員会より、県の文化館に異動になった。同年、 中国共産党に加入、1979年、四川文学連合に異動、創作を中心に従事し、現在にいたる。

      私の同胞のために創作する

 人類は未だ、苦境に直面しなかったことはない。世界人口の4分の1を占める中国人の新しい生活は やっと始まったばかりである。私は同胞のために創作し、平凡な労働に従事しているたくさんの人達の ために創作する。私は人々に、私が分かっている生活の真実の状況をお知らせしたい。しかし時として 私は、読者の方々に比べて、決して多く、又深くまで了解しているわけではないので、書けるのは、ほ んの少しだ。私がまだ創作をしていなかったころ、社会の仕事をしたり、勉強したりしていた。私は、 毎日人々と同じ仕事をある程度した後、やっと自分は創作しなければならないと思いたった。
 私は自分の作品が多くの読者を得て、より多く、より良くなって欲しいと願っている。このために私 は、いつも人々が普遍的に感心を寄せることについて書いていきたい。私は天才ではないので、私の作 品は「廃れて《しまい、後世に伝えられることはないが、しかし、何か方法があるのか。私は後世の人 のことは分からない。ちょうどそれは、私達が先代の人のことを分からないのと同じようにである。

(『中国当代作家百人傳』求実出版社1989)


<作品目録>

『石家兄弟』(短編小説集)      1977年四川人民出版社出版
『周克芹短編小説集』         1983年四川人民出版社出版
『許茂と彼の娘たち』(長編小説)   1980年百花文芸出版社出版
『果樹園の主人』(中編小説)     1984年『青年文学』
『桔梗の香り』(中編小説)      1984年『現代作家』 第1期
『五月の香りは正に濃い』(中編小説) 1984年『青年作家』 第4期
『おいでなさい』(短編小説)     1983年『作家』   第11期


作成:伊藤 亜希