オンライン現代中国作家辞典

Zhèng Yì
鄭 義
てい・ぎ
(1947-  )


鄭義自伝:

 1947年春、四川省重慶に生まれる。十歳のとき北京にくる。初級中学では、古典詩詞を読むのを好んだ。 高級中学では主にロシア・ソビエト文学に触れた。しかし清華大学建築系に入って建築家になるのが夢だった。卒業試験も終わり、大学入試の準備をするころには、広い清華園のどこにも静かに勉強机を置くことはできなかった。暴風が巻き起こり、母校清華付属中学は「紅衛兵《誕生の地となった。クラス担任は煙突から跳び降り、私を砲丸投げのチャンピオンに育てた体育の教師は、校舎から跳び降り自殺した。繊細で感じやすい女子学生が一人毒を呑んで自殺した。校長は殴られて瀕死の状態をさまよった。徳、智、体の全面的発展によって、私は「旧教育制度《が育成した「修正主義《の苗木とされ、紅衛兵と彼らに脅された同級生たちは、私を4時間も殴打し続けた。かつての理想は死と鮮血によって跡形も無く洗い流された。それは忘れもしない1966年のことである。
 その後、この潮流は我々を包み込んだまま全国に広がった。私は銃弾と廃虚と死体の山をくぐりぬけ、中国大陸の半分を踏破した。その後太行山のわずか9戸からなる山村に下放した。畑を耕し、家を建て、樹を切り、羊を飼い、山を移し溝を埋めて「大寨田《を作った。……生活の実践を通じ、私たちはマルクス・レーニン主義を自任する林彪や「四組《に疑いを抱いた。私は求めうる限りのマルクス・レーニン主義の原典を読み始めた。信じることのできる真理を求めて、私は単身山海関の外にとびだし、黒龍江、内蒙古の草原や森林を流浪した。大工道具を担いで、ぼろぼろの犬の皮の布団を巻き、鞄にはレーニンの『哲学ノート』、ハクスレーの『進化と倫理』そしてフォイエルバッハの哲学文集を詰め込んでいた。「林彪事件《が全国を振動させると、我々の世代はますますしっかりと自分の道を確信するようになった。70年代のはじめ、全国の知識青年たちの間に自発的かつ熱狂的な読書ブームが巻き起こった。私たちはマルクスの『1844年経済学・哲学手稿』から、カウツキー、トロツキーまで、ヘーゲル、フォイエルバッハからニーチェ、サルトルまで、アリストテレス、コペルニクス、ダーウィンからアインシュタイン、海森堡までのあらゆる本を捜し求めた。
 その後、1974年に呂梁山の炭坑で労働者となった。四年後大学入試が再開されたので、受験し中文系に入学。在学中に処女作「楓《を発表した。文学の道の一歩を踏み出したのである。卒業後、山西に行き、晋中地区の文聯で文学雑誌の編集をした。1984年から山西省作家協会で専業創作に従事することになり、同時に大型文学雑誌『黄河』の副編集長となった。
 六年間の下放生活の蓄積に基づいて、1983年に中編小説『遠村』を発表し、趙樹理文学奨を受賞した。1983年末から1984年初めにかけて、自転車で黄河沿いに3ヶ月にわたる行程1万里の文学の旅を行なった。それは私の文学に対する考えを変え、身を捧げようとしている開放的な民族文学の基礎を打ち建てた。その後発表したのが中編小説『老井』である。
 現在は、あらゆる職務を辞して、黄河のほとりの小さな村でひっそりと暮らし、中華民族の魂を追求している。

民族の魂を求めて


 私の幼年は清らかな嘉陵江とともにあった。その蒼い水は直接血管に流れ込むかのように美の源泉となった。二十歳で太行山に下放した。ここでは高原と黄河の粗削りな美しさが私の神経を鍛え、血は混濁して力強くなった。南方の優美さは結局かすかな幼年時代の夢である。北方の強い美しさは苦難の青春を溶かす溶鉱炉である。
 「文化大革命《と太行山の農村での体験によって、次第に悲劇的な美の感覚が波打ってきた。私は作品を書き始めるやこの残酷な美を書いた。それは一つの思想を打ち破る突破口であり、興奮させられるものだった。しかしやや冷めてくると、自分自身のなかに「文は以って道を載せる《という古い伝統が引き継がれていることに気がついた。
 運命の優遇に感謝せねばならないだろう。私は北京から突然社会のどん底に落とされたのである。六年の農村生活(山海関外への流浪期間も含まれている)と、四年の炭坑生活で、一人のプチブルインテリだった私は次第に民族の大きな苦難の中に溶け込んだ。それからは知識青年の運命を嘆くことなく、我が民族の生存状態の研究を始めたのである。とうとうたる生活の流れが面と向かって押し寄せてくると、私はかつての「主題先行《の舵を捨てて、流れに身を任せることになった。変幻極まりない流れのなかで、情勢に応じて有利な道を進み、主流をさがしもとめた。
 近年、「ルーツ文学《という新潮が突然あらわれた。私はその旗印の下に帰属することを望んだ。「ルーツ文学《はあたりまえの生活にやや接近した模写を行なうだけでは満足せず、文学の根を遠く民族の歴史、文化、生命力に広げ、広大悠久な時空と錯綜する重層的なレベルから、より深く現実を理解しようと試みた。やや注意を払えば、文学上のルーツ探しも一般的な意味でのルーツ探しの欲求も現代の世界的傾向なのだと気づくだろう。その背景には隠れた哲学的背景が存在し、それは2-3世紀も溯ることができる。コペルニクスの地動説が最初に人類の尊大な自信に打撃を与えてから、人間はもはや宇宙の中心ではなくなり、雲散した神話の世界から平凡な大地に叩き落とされた。それに続いてダーウィン、フロイト、サルトルが人類青春期の未成熟なヒロイズムを打ち砕いた。西洋文明の発展過程とは、人間の価値の失墜に他ならなかったのだ。現代人のまなざしは、銀河系外宇宙や素粒子によって構成される大世界というものから、次第に自分自身の内部という混沌とした「第二の宇宙《を見つめるようになった。新しい世紀の科学は人間の科学、生命の科学であるかもしれない。人類は「自分の外のもの《を二の次にして、自分自身に関心をもったのである。
 あるいは個体と集団の同一構造原理によるものか、人間は中年になる薄れたかに見える郷愁が強まってくる。私は常に限りない感情であの緑の嘉陵江、朝もやのなかの湿った舟のラッパ、紙の鳩を飛ばした山の坂道、山あいの我が家の茅葺きの小さな家を想いだす。……何年か前、山を越えて甘藷をかじりながら歩いていった。位置はほぼ正確で、道も歩いたことがあるような気がした。しかし夢にまで見たあの土地は、どうしても見つからなかった。喪失感がいつまでも私の心のなかで徘徊しつづけた。私はどこからきて、どこへ行くのか?私は何者なのか?
 私の理解する中国「ルーツ文学《は、我が民族の存在価値と生命の源に対する探求である。それは次のような問題に答えてくれるだろう。「我々はどこからきて、どこへ行くのか?我々は何者で、何をしようとしているのか?それをどのようにやるべきなのか?《

(『当代中国作家百人伝』求実出版社1989.6)

 

作品集・単行本

『楓』《文匯報》1979.2.11
『新婚之旅』花城出版社 1982.4=陳建功・孔捷生などの作品も収めたオムニバス
『氷河』《当代》1983.6
『遠村』人民文学出版社 1986.2
『老井』中原農民出版社 1986
『歴史的一部分』萬象圖書股分有限公司 1993.3
『紅色紀念碑』華視文化公司出版 1993.7.15
『神樹』長編小説 三民書局(台湾)1996.9

   


邦訳単行本


『古井戸』藤井省三/訳 JICC出版 1990.10.1
『中国の地の底で』藤井省三/監訳 加藤三由紀・櫻庭ゆみ子/訳 朝日新聞社 1993.10.20/¥2400(本体¥2330)
『神樹』藤井省三 朝日新聞社 1999.10.5/¥3800+税

  

 
北明     鄭義    

作成:青野繁治