オンライン現代中国作家辞典

Xú Huáizhōng
徐懐中
じょ・かいちゅう


徐懐中自伝:

 1929年9月、私はある貧しい農民の家庭に生まれた。故郷は太行山のふもとの小さな村である。村の子供たちは大人にならないうちから、父兄にしたがって乾いた土地で働くか、炭坑に入って炭坑夫になるかであった。父は私が学校に通えるように頑張ってくれた。
 12歳のとき、私は日本軍に占領された故郷を離れ、太行辺区政府の設立した中学校に入った。17歳で卒業して軍隊に入り、それから今まで軍隊の文芸工作を続けてきた。
 解放戦争期間には、私は劉伯承、鄧小平野戦軍文芸工作団で美術の仕事をした。主な任務は、標語を書いたり、木刻をしたりだった。馬糞紙で自分の描いた絵の表装をして、戦地を巡回展示した。
 50年代初め、西南軍区文工団で研究員となり、一年の数ヶ月はチベット地区の生活に溶け込んでくらす必要があった。
 1955年昆明軍区の政治部や文化部へと転属になり、雲南辺境地区をしばしば訪問した。そのため私は万年雪をいただく世界の屋根から亜熱帯のシーサンパンナにいたる不思議な風景を満喫し、西南の各少数民族の昔ながらの民俗習慣を理解し、辺境地区での世紀をまたぐ社会的生活の変化を観察することができた。この辺境の生活が私の文学創作初期の主な方向性を形作った。
 1954年私は最初の中編小説「地上的長虹」と数編の短編小説を発表した。1956年にはチベットの社会変革を反映した長編小説『我們播種愛情』を発表し、評論界に普く注目され、建国以後現れた優秀長編の一つと称された。これはまた私の前期の代表作でもある。同年私は中国作家協会に加入した。
 1958年から5年間は、『解放軍報』社で副刊の編集の仕事をし、その間はあまり創作はしていない。
 1959年に発表した映画シナリオ『無情的情人』は、様々な波風をたてたが、長い年月ののちに漸く世論に認められた。
 1964年、短編小説「四月花泛」を発表。この小説では藝術風格上新しい探求を行ない、素朴さ自然さの追求に力を入れた。これはその後の私の創作に明らかな影響を残している。「文化大革命」が始まると、私は完全に創作を停止し、外地の仕事に転属となった。
 1978年北京に戻ると、八一電影制片廠でシナリオライターとなり、再びペンをとりはじめた。1980年に短編小説「西線軼事」を発表、評論界はこれを私の後期の力作であり、軍事文学創作に開拓性の貢献を成し遂げたものとみなした。この作品は第一回解放軍文芸奨と全国優秀短篇小説奨の一位を獲得した。それからも一連の中・短編小説を発表している。
 1984年解放軍藝術学院文学系主任となる。同年中国作家協会理事会理事、主席団成員に選ばれる。

(『中国当代作家百人傳』求実出版社1989)


作品集・単行本

『徐懐中代表作』中国現当代作家著名作家文庫 黄河文藝出版社 1988.12/4.55元



作成:青野繁治