私の詩観
詩を書くということは、知恵と創造力を直接的に体現することである。人類のすべての経験と、
文化意識は、共に詩の世界の中に集結しており、詩はそれらを、一種の全く新しい言語にするので
ある。中国では、自然と精神、歴史と現実、集団と個人は、交錯し、糾合している。また、東洋の
古い文化と人類の現代文明を総合するという立場は、中国現代詩において、必然的な使命なのであ
る。伝統に対して改めて発見することと、現代に対して複雑に体験することは、詩人の自覚の領域を
構成し、才能は、できるだけ豊富で、堅実で、厳格な空間形式を創造するために体現される。それ
ゆえ私の組詩はみな、全体から部分への一種の構成感、構造感や、一種の空間的強度からやって来
る自ら満足するということと、圧迫状態を追求するのである。したがって、内包しているものは、
暗示性を有する形式を通して、静かに呈している。私は、言語を探求することは、人類生存の探求
の最も深い段階であると考え、それは、冷静かつ粗野で緊張し奔放で、時には、はばかるところが
ないほど残酷なのである。自ら顧みて恥じる明清の磁器ではなく、古風で飾り気のない陶缶、凶悪
で激しい青銅なのである。
もちろん、自分はまだ始めたばかりだということを私は知っている。