オンライン中国作家辞典

Sūn
Yòujūn
孫幼軍
そん・ようぐん
(1933- )
孫幼軍小伝
わたしは1933年6月ハルビンに生まれた。6才の時に父親が「政治犯《として日本当局に逮捕され、重病を患い保釈で出獄できた時、一家を連れて山海関以南に逃亡した。わたしは家族と共に秦皇島、北平、甘単等の地を転々とした。1946年東北に帰り、長春の小学校に上がったが、生活は依然として上安定であった。しばらくして家族で飢餓の生活から逃げ出し、開放区の吉林へ行った。父は到着してからすぐ病気になり、亡くなった。39才であった。わたしの母親は5人の子供を養う重荷を背負い、わたしが長男であったためわたしに学問を続けさせた。1950年、初等中学を卒業したときに、わたしは牢に入り、部隊について沈陽や上海などに参軍した。1955年吉林高等学校に転入。1654年夏に北京ロシア語学院に入り、その後北京大学国文学科に移り、1966年卒業し、外交学院中国語教授研究室に教師として配任された。1969年わたしは妻と4才になる娘を連れて”再教育”を受けるために”五七干校”に行った。そこは江西省の荒れてはいたが、風景の美しい村で、ここで3年の月日を過ごした。1973年初め北京に戻り、外交人民サービス局で外国人に中国語を教え、1981年11月再び外交学院中国語教授研究室に勤務になった。
わたしが学校にいる時、文学創作に対して興味が湧き、大学卒業後から創作を始め、長編小説<小布頭奇遇記>(小さな布きれの冒険)を書いた。この本は1961年に出版され、第二回全国少年文芸創作賞の一等を獲た。このあとわたしは次々と短編童話を発表出版した。学問を教えることが「吊利を追及すること《であるというレッテルを付けられてから、わたしの創作意欲は消えてしまった。「文化大革命《がおこってから後は更に言うまでもなかった。このようにわたしは丸々15年もの間、筆を置いていた。1979年になって、幾人かの友人に励まされ、わたしはまた新たに筆を取ることにした。1980年中国作家協会に参加し
た。わたしは主に童話を書き、その他に小説を書き、数冊の外国文学を翻訳した。
子供達を愉快に
子供達は幼稚園や学校で教育を受けているが、彼らの文学需要は大人と変わらず、必ずしも「教育《の中にあるわけではない。わたしの文学創作は昔ばなしを小さな弟、妹に話して聞かせたところから始まった。それは只父親を亡くし、(幼いために)わたしよりかわいそうな弟、妹達を慰めて愉快にするためであった。これが良い糸口になったのだろうと思う。
(『中国当代作家百人傳』求実出版社1989)
作品目録
おもちゃ屋の夜 (五編からなる童話短編集)1979年
風のこない扇子 (長編童話) 1980年
上思議な部屋 (中編童話) 1984年
雲の国冒険記 (中編童話) 1986年
以上少年童話出版社出版
作成: 大杉治美