Liu Qing  柳 青

(1916-1978)


柳青小伝:

 本名は、劉蘊華。1916年7月20日、陜西省の中産農民家庭に生まれる。1928年小学生の時、わずか12歳で共産主義青年団に入団。1931年楡林県省立第六中学入学。1934年西安高等学校に入学後積極的に革命活動に参加し、勉学に励む中、書く練習や外国作品を翻訳し始めた。1935年“一二九”運動に参加し、雑誌『救亡線』を編集した。1936年中国共産党に加入。西安事変後、中国共産党陜西省臨時宣伝委員会に参加し、『学生呼声』、『西北文化日報』、『戦鼓』を編集する。同年、上海の『中学生文芸季刊』に“柳青”というペンネームで処女作『待車』を発表。1938年から1940年にかけて、散文や短編小説を手がける。『誤会』、『犠牲者』、『地雷』、『一天的 伴』、『在故郷』、『喜事』など。1942年全党整風運動中、柳青は毛澤東の『在延安文芸座談会上的講話』を勉強し、1943年3月党の文芸工作者は労働者、農民、兵士が実際働くところへ行かねばならないという、党中央の決定に従い、米脂県民豊区呂家潤郷政府の書記となった。1947年柳青は、米脂での彼の生活体験をもとに初めての長編小説、『種谷記』を作った。その作品は解放区の農村が互いに助け合って生活するように変化した様子を映し出し、又、当時の文芸界が毛澤東の提出した工農兵文芸という方向を貫いた大きな成果となった。1951年3月第二部長編小説、『銅境鉄壁』を完成させた。その作品は美しい色彩を持って陜北戦争の壮大な場面を描き、革命戦争中における人民群集の偉大な力を十分表現し、毛主席の人民戦争思想を熱情あふれるほど、ほめたたえた。特に注目すべき点は作品の中に初めて毛主席と周恩来の姿があらわれ、指導者と人民の親密な関係が芸術的に描かれているということだ。これは、当時の長編小説の中では文化大革命の指導の様子が描かれた初めての試みとなった。1951年4月柳青は『中国青年報』に編集長として参加した。1952年3月上海で“五反”運動に参加。5月、陜西省長安県皇甫村に定住し寺で子供をもうけ育てた。1956年、『皇甫村三年』と題して散文を集め出版した。1959年11月、中編小説『狠透鉄』を出版。同年には、第三部長編小説『創業史』を発表した。この作品は、当時の農村生活を反映した最も優秀な長編小説の一つである。『創業史』は、当時の中国文学界を騒がせただけでなく、世界でも、反響を呼んだ。そして柳青の作品は英語、日本語、スペイン語などの数多くの言語に翻訳され国内外において名声を得た。1978年6月13日病状の突然の悪化により62歳の生涯を終えた。全国解放後、柳青は中国人民政治協商会議第四回、第五回の全国委員会委員、政協陜西省第四回委員会常務委員、中国文学芸術界連合会全国委員会委員、中国作家協会理事、中国作家協会西安分会副主席、『延河』編集委員などを歴任する。

(『中国当代名作家小伝』文化芸術出版社、1990)


作品集・単行本

   『柳青小説散文集』  中国青年出版社 , 1979. --
   『狠透鉄,短篇小説』  陜西出版社 1978 , 0001. --
   『種谷記』  人民文学出版社 , 1963. --
   『創業史』  中國青年出版社 , 1977. --
   『創業史』  中國青年出版社 , 1977. --
   『創業史』  中國青年出版社 , 1960. -
   『柳青專集』  福建人民出版社 , 1982. --
   『柳青小説散文集』  中国青年出版社 , 1979.  0.67元 --
   『銅墻鉄壁 』 人民出版社 , 1959. --


参考資料

『柳青紀念文集』 人文雑誌叢刊第一輯 人文雑誌編集部 陜西省社科院文学研究所合編 1983年?/1.25元



作成:柳田 美樹子