オンライン現代中国作家辞典
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我が創作の三原則


 平和主義、人道精神、平民思想、この3つが私が自分の創作に課した三原則である。また私の人間としての今後の思想原則でもある。
 作家たちは「サロン」を必要とし、この特殊な方式で交流をしようとする。だが私は絶対に「サロン文学」の道は歩まない。言い換えると、私の作品は絶対に作家の輪のなかの一つの輪のために書くのではないということだ。私が書くのは、「輪の中の輪」よりもっと多くの幅広い人々と心を通じ合いたいからである。
 私は19世紀の文学は人類の文学史上ひかり輝く一頁であると考える。しかも19世紀のリアリズムと浪慢主義の作品は私に比較的深い影響を与えている。
 人類の文化芸術的発展は、人類の科学技術の発展とは歩調を共にするとは限らず、正比例をなすとも限らないと、ますます思うようになった。逆にまったく相反することがあり、科学技術の発展は、人類の生活から文化芸術とその「酵母」の役割を果たす「美」を排除してしまっているのだ。それでも、新しい世代の若者に人気があるのは、必然的に新しい文化と文学芸術である。中国の文学はまさにそのような段階にある。それは人間の意志によって移り変わるのではない。中国当代作家はそのような文学段階の情況に適応していくことができるだけだ。しかもこのような新旧交代の過程のなかから当代中国文学の特徴を見つけ出さねばならないのである。
 私は西洋現代文学の諸流派に大きな関心を抱いている。しかし決して崇拝することはない。私は西洋現代文学が人類の文学芸術発展の歴史の最高峰であるとは考えたこともない。私は西洋現代文学の各方面の業績が、実は西洋19世紀文学の輝ける1頁を越えていないのだと考える。
 シュールレアリスム、ブラックユーモア、不条理派、意識の流れ、その他いろいろは、人類的文学現象であるばかりでなく、人類的心理現象でもある。そして我々がそれらが人類的心理的歴程や心理現象であることを認めて初めて、それらの発生と発見に対して科学的な解釈をすることが可能となる。
 一般に、中国の作家たちは西洋の文学に対して、ずっと虚心に研究し、探求し、学習する態度を持ち続けてきた。西洋の作家たちをずっと尊重してきた。それと比べると、西洋の国家は中国文学、とくに中国当代文学に対する理解、認識、研究において、幼稚で、浅薄で、無知であった。
 私は我が民族の文学を軽蔑したりしてこなかった。文学芸術やその他の芸術において、「西洋の月は中国の月より丸い」などと認めたことはない。
 中国の当代文学は、いま新たな発展の時期におかれている。そこには疑いなく明るい前途がある。しかしその前途は中国の一世代あるいは数世代の作家の努力によって勝ち取られねばならないのである。中国文学が目下欠いているのは、時代に対する批判の武器である。……

(『中国当代作家百人傳』求実出版社1989年)


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作成:青野繁治