オンライン中国作家辞典

Kǒng Jiéshēng
孔捷生
こう・しょうせい


孔捷生自伝

 大陸最南部、広東省にて生まれる。
 南海は、喧騒あふれる場所に近い所にあった。思うには、そのおかげで、私の中には大陸と沿岸双方の性格が備わったのであろう。南海県が、私の故郷である。貧困と言われる中国において、比較的裕福な一角であると言える。
 当地は、あの傑出した思想家、康有為の生まれた所でもある。彼の幸運なことには、世の中に不満を持っている多くの賢人と比べて、彼の学説は実行できたことである。一方、彼の不運だったことには、その維新運動が、百日間も続き、外国への亡命を強いられたことだ。
 この地は、もう一人、評判の高い作家呉趼人誕生の土地でもある。彼は、国を創り民族を救うという理想は何もたいしたことではなく、ただとてつもなく深い絶望と過酷な糾弾を感じていたようである。
 私は早くに彼らの著作を読んでいたが、かえって、彼らの憤怒や絶望を理解するのは遅かった。なぜなら私は1952年末に生まれ、その時代とは、封建主義の面影を脱け出す新中国であったからである。私は次第に理解していった。一つの民族の歴史と文化、何度も起こる天変地異、幾度も徹底的に行われる改革、それに伴う極めて微量の変動を。それらは、生活そのものが、私に教えてくれたのだ。
 私は一人の人として、決して多くはないが現実的物語とでも言う傾向を経験し、しかし、ただ一代限りの 人として、かえって、危険に満ち、生死の歌に泣く現実の出来事を共に形成してしまった。それは、世界を震撼させた「文化大革命」であった。出身家庭の認識などが原因となって、私は「紅衛兵」の資格をなくした。しかし、この事はたいして関係なく、1968年秋、私は、私のような資格の青年達と一緒に汽船に乗り込み、海南島に運ばれた。この時私は17才だった。これらの島は、各朝各代通して、政治犯の追放の行き場所であった。熱病に、荒れ果てて野蛮な土地柄、及び、険しい海原が、その島と大陸とを遮断しており、「思想改造」の最も適した場所であるといえた。私は、広大なモンゴルの未開の土地五指山区の、さらに奥深い所で、ゴムの木を伐り耕地化し、これと同時に頭の中の余計な価値観念を切り、埋もれている多くの疑惑を含む種子を耕し出した。私は、知識青年集団の宿舎の石油ランプの下で、創作を開始した。精神の苦悶を始末しようと、文学を用いて。
 事実、私の思想は、ただ厳しい生活を受け入れるに至った。23才のあの年、私は広州市の錠前製造工場 で、労働者になるべく戻ってきた。各人の思想とプライバシーは、「組織」に率直に自白せねばならないと いう時代で、錠なんて代物は、ただ役に立たない装飾物でしかなかった。「文革」は、いまなお続いており、 人民の忍耐は限界に達していた。1976年の清明節の日、私は自らの詩歌でもって「天安門事件」に参加し、 公安局から全国に指名手配された。しかし、中国は目覚め、犯人を捕まえ刑務所に投獄されるのを待たずに、時勢が変わった。
 私は二度と自分の思想を閉じこめる必要がなかった。すなわち、小説を発表し始めた。こういうわけで 私は作家になった。私は目下、中国作家協会広東分会の作家である。

伝統の河を漕ぎ出して

 私は龍の子孫であるのだが、はっきりした龍の容貌をとるのに、最も精力を費やし、この古めかしくも 神秘的な怪物を描き出す事を渇望した。それは世界中の人々の観賞のためなどではなく、私自身のためとして。
 私は、人類史の中の奇妙な一章、“文化大革命”の証人である。私は、その事について厳粛な注視と検討 でもって敬虔かつ幻滅を抱いて従った。そして、この事件が、中国人民だけでなく、既に全人類におけるものだと痛感した。しかしながら、文学においては、それは第一に私自身の事件だった。
 私は20世紀末の世界公民である。そして、まだ、自分が今模索しているこのくらいトンネルはもう既に 果てに近い場所だと幻想していた。しかし、文学の珍奇な光は、却ってあたかも夜明けの空色で、私を昔へと導いた。多くの人が多くのトンネルで孤独に耐えながら這っているにもかかわらず、私と幾ばくかの探求者は皆、自分の迂回し曲がりくねっている道の中で歩くことができた。それは、我々の思想にもあてはまり、どこかの交差点で喜んで出会う事ができた。
 私は現代人であるが、伝統の河に巻き込まれ、これからは終生、慣性と宿命の仏法の力の下で苦しんで もがかざるをえず、そうやって解脱を求めるほかはないであろう。人々は、伝統の河の川底の流れの向きを 変えるのは歴史自身であり、かつ、悪い体制でとるに足らない自由散漫な芸術家である、という。私はそうは思わない。偉大な文学作品は別に歴史の過程の忠実な記録というのではなく、その作品自体が、画期的な歴史の事件となるのである。私は、伝統的な古い道徳の擁護者と思うのではなく、伝統の創立者であるべきなのだ。
 このように、私は自己の夢想の奴隷となり、文学の原野を開拓した。文学には当然国境線などない。ただ、私は己の顔色をうかがう奴隷となった。私は自分の民族をこのうえなく愛している。多くの禍災と患難の運命かつ憤懣であり、祖国の前途のちょっとした転機とときの声を上げるたびに。私は固く信じている。血の涙は歴史の河の一部となり、忍耐強く不屈の民族であり、不朽の叙事詩を必ず包蔵することとなる。結果として、私はその中の一人の創造者になるにすぎない。

(『中国当代作家百人傳』求実出版社 1989)


単行本・作品集

『追求』短編小説集 広東人民出版社 1989.9
『南方的岸』中編小説 北京出版社 1983.
『普通女工』中、短編小説集 上海文芸出版社 1983.12
『大林莽』中編小説 花城出版社 1985
『孔捷生小説集』香港山辺社 1986

 

作成:谷川智美