オンライン現代中国作家辞典

Jiǎng Zǐlóng
蒋子龍
しょう・しりゅう
(1941- )


蒋子龍自伝:

 私は1941年河北省滄県の農村で生まれた。1958年に天津重型機器廠技工学校に合格、1960年卒業後も残って労働者となる。同年解放軍入隊。海軍製図学校に入学し、卒業後製図員となる。1965年復員して工場に戻り、生産組長、工場長事務室秘書、現場支部総副書記、現場代理主任などの職を歴任する。1972年中国共産党加入。1982年はじめ中国作家協会天津分会の配属となり、専業創作を開始。現在中国作家協会主席団委員、作家協会天津分会副主席。
 1962年作品を発表しはじめる。1976年短篇小説「機電局長的一天」発表後の社会的反響は強烈であった。1979年「喬廠長上任記」を発表。同年中国作家協会に加入。以後も陸続と一系列の作品を発表した。

藝術観――藝術は行き場のない人が行く道

 私の考える藝術は、やすみない戦争でなければならない。人類が殺し合い、精神と肉体が衝突し、境界がなく、善悪は分かちがたく、生死は定まりなく、筆下の千軍万馬の雄たけびが耳をついて離れない。
 私の考える藝術は、完全な世界や社会や工場でなければならない。人は神になれず、国王にもなれず、工場長にもなれず、自分の最も素晴らしい目標を実現できないとき、作品を書くのである。藝術は行き場のない人が行く道なのである。
 私の考える藝術は、一種の解脱、一種の「精神的勝利法」でなければならない。いついかなるときも自分のことを省み、他人のことを考える。最終的には自分自身のことを考えるのだが。
 私の考える藝術は、魔法のトンネルでなければならない。それは人を天国にも地獄にも導く。人は藝術を通して生命の奥深い神秘に到ることもでき、宇宙と宇宙の間の秘密を理解することもできる。それはまた人の頭を悩ませ、ぼんやりと、何も見えず、何もわからない状態にすることもできる。
 私の考える藝術は生命を移植し、人生の限界を打ち破り超越できなければならない。人間の一生の中で様々な経歴を選んで体験できるようにし、何度も人生をやり直せるようにしなければならない。自分の単調な生命のかたわらに、たくさんの新しい生命を生み出し、先人と後続の人々の生命をつなぐはたらきをしなければならない。
 私の考える藝術は白日夢、正常人の創り出す狂喜でなければならない。芸術家は現代精神のメーカーであり、もっぱらイメージを売買するのだ。
 要するに、私の考える藝術は、いろいろな立場から道理を説くものだ。どの立場の道理が正しいか、それは神のみぞ知るである。

(『中国当代作家百人傳』求実出版社1989)


作品集・単行本

『蒋子龍短篇小説集』中国青年出版社 1980.7/0.54元
『開拓者』中・短篇小説集 中国青年出版社 1981.3/0.67元
『蒋子龍中篇小説集』湖南人民出版社 1982.1/1.70元
『蒋子龍選集一』中・短篇小説集 百花文藝出版社 1983.9/1.80元
『蒋子龍選集二』中篇小説集 百花文藝出版社 1983.10/1.50元
『蒋子龍選集三』海外訪問記・文論 百花文藝出版社 1983.10/1.35元
『過海日記』外国訪問記録 中国文聯出版公司 1983.10/1.15元(平装本)1.55元(圧膜本)
『拝年』中・短篇小説集 上海文藝出版社 1984.4/1.50元
『燕趙悲歌』中篇小説 中国青年出版社 1985.1/0.64元
『蛇神』長篇小説 百花文藝出版社 1986.6/2.25元
『陰陽交接』中・短篇小説集 華藝出版社 中国当代著名作家新作大系 1991.10/4.90元
『蒋子龍――中国当代作家選集叢書』中・短篇小説集 人民文学出版社 1992.6/8.25元
『我是蒋子龍』団結出版社 当代作家自白系列 1996.9/18.00元
『蒋子龍海外游記』華文出版社 中国作家海外游記叢書 1996.11/18.00元

           

参考書

『現代文学作品選講』吉林人民出版社 1978.3/0.61元=「三個起重工」を収録



邦訳

「万華鏡」(赤橙黄緑青藍紫)『九番目の売店』人民中国雑誌社
「喬さんの工場長就任記」(喬廠長上任記)石黒やすえ・嶋田恭子/訳 『日中友好新聞』1147-1176号1980.2.17-9.21
「喬所長の着任」(喬廠長上任記)上野広生/訳 『現代中国短編小説選』亜紀書房 1983.1
『鍋釜交響楽』蘇琦/訳 恒文社 1989.8.10/定価1700円(本体1650円)




作成:青野繁治