オンライン中国作家辞典

Gǔhuá
古華
こか
(1942- )


古華自伝:

 私は1942年6月20日に湖南省嘉禾県二象村のある旧職員の家庭に生まれました。幼い頃から郷土の民間歌謡や伝記物語の影響を受け、文学を好みました。高等小学校、初級中学校では皆に選ばれて、学生会の学習宣伝部長をしました。
 1958年の夏に初級中学校を卒業し、「右派に共鳴した教師《のせいで、出願した中等専門学校に合格せず、農村へ行って、一山区にある民営学校の教師を1年して「大躍進《運動に参加しました。1959年の秋に州地区にある農業専門学校に入って勉強しました。翌年、「国民経済の困難時期《に出くわし、農村に行き「農業を大いに発展《させました。1961年冬、学校が閉校の命令を受け、また 州地区に行って農業労働者をして、始めてから14年間農業労働生活をしたことになります。それゆえ中国南方の農村の畑仕事の全てに詳しく、「社会主義教育《運動や「文化大革命《運動を経験したのです。
 1962年《湖南文学》において、処女作である《杏妹》、《甜胡子》を発表し、それ以後はずっと仕事の合間に頑張って創作し続け、1975年の秋になるまで[林β]州の歌舞伎団の創作員をしていました。この時から専門の文芸家になりました。1980年に中国作家協会の文学講習所の第5期を卒業し、中国作家協会に加入しました。文学講習所での学習期間に、長編小説《芙蓉鎮》や短編小説《爬満青藤的木屋》等を創作しました。1983年の冬に中国作家協会湖南分会に加入し、専業創作に従事しました。1984年の春には、中国作家協会の代表団に参加して、エジプトやモロッコ等を訪れ、帰国後、旅行記《在地球的那一辺》を書きました。1984年末、中国作家第4回代表大会で中国作家協会の理事に選ばれました。1985年の春に湖南作家協会会員総会で湖南省作家協会の副主席に選ばれました。同じ年の冬にドイツ連邦国政府の新聞社の招待に応じて、ドイツを訪れました。その後イギリス籍の有吊な女流作家の韓素音(ハンスーイン)の招待でスイスに行き、帰国後旅行記《我的連邦徳国之行》と《我認識的韓素音》を書きました。
 今までのところ、発表、出版した長編、中編小説は12部、短編小説及び散文は百余編、小説集7冊、散文集1冊、論文集1冊です。《芙蓉鎮》、《浮屠嶺》、《相思樹女子客家》等が次々に歌劇、話劇、越劇、黄梅劇、蒲田劇、漢劇、花鼓劇、花灯劇等に改作され上演されました。他に7編の小説が改作され、映画やテレビで上映されました。主な作品は、既にイギリス、フランス、ロシア、イタリア、ドイツ語版が出ています。

人間の本性を求めて

 我国が文学運動の追求に力をいれたことは、当代文学がある域に達しつつあるという証拠であり、また当代文学が大繁栄に直面していたという兆しの一つでもあります。しかし、我々が各自で跡をたどって追求する時に、はっきりとした地域特色の中国文化の源流を以って自らを慰めたり、自己陶酔したりすると、古い歴史を持つ中国文化の他の面、その重みのある封建的堆積や、その数千年に渡る一貫した安定した構成、そしてその根強くずっしりと横たわる”道”と”徳”の伝統規範をしっかりと見極める事ができなくなります。この面を見ることができなければ、我々の現在の文学への追求は、閉鎖や半閉鎖といった歴史の古い路線へと続く可能性もあり、必然的に良い「根《と悪い「根《、精華とかす、伝統的な美徳と伝統的な悪い根性の見分けもつかなくなるでしょう。甚だしきに至っては、古い根っこを尉遅氏の鋼のムチに変えて、そのムチで新しい文化思想の芽を打つ人もいます。ひたすら夢中になって、遠い辺境の開けていない山岳地帯に、古い風習、歌謡、伝説、俗語等を探しに行って、伝統文化の錆付いた残骸を見つけることもあります。
 中国の伝統文化の優勢についていえば、偉大な業績、古今を通じての学問の専門家達の書いた彼らの主張を見れば、はっきりと詳しく述べてあるのでここで述べる必要はありません。それでは、その薄弱な点はどこにあるのか? また魯迅先生の言う悪い根性とはどこにあるのか? 受け継いできた重い負担はどこにあるのか?私は「人《にあると考えます。中国の伝統文化が提唱してきたのは、ある種の規範化、模範化された人間であり、育成してきたのは自己中心、自己を内に閉じこめる人間でした。陶冶してきたのは、内向的性格で人に支配される人間、本能を抑制氏、欲望を節制し、細かい事を気にかけて、謙虚にへりくだり、自分の欲望に打ち勝って、礼を忘れない人間でした。2800年前の『周礼』以来、歴朝歴代の儒家が人々に一切を包括していて、なんでもありの「道《と「徳《という厳格な規範の規定のもとで行動するという思想を与えるまで、どれだけ長くかかったことでしょう! しかし自らを欺き人を欺くような「天条《に違反したら、その惨めな末路は目に見えていたのです。我々が見て認めたい、認めたくない、と思うのにかかわらず、正にこれら「規範《「天条《こそが、我々の創造力、競争力、進取の精神を束縛し、我々の聡明さと才知を侵食し、音をたてずに我々の前進を妨げているのです。
 このために私は、我々の現在の文学追求は、世界文化の潮流と向き合って、新しい歴史文化の岸辺に立って、開放・開拓の態勢を取り、勇気を奮い起こして前進し、性質の異なるものでも受け入れるという態勢を取り、これによって一種の自己超越感を持ち、それによって荘重な理性を身に付け、世界、未来と向いあわなければならないと考えます。
 現在、我国の社会生活の中の政治、経済、科学文化の諸領域は空前の規模の激しく、深刻な変革を経験していています。この種の変革は、既に思想形態、思考方式、生活方式を有した一連の変化をもたらしました。伝統の古臭い善悪観、道徳倫理観は今まさに全面的な衝撃と挑戦を受けているのです。
 時代、社会生活の反映を自己の任務とする文学創作は、どんなにこれらを等閑視しても、それ自身は観念が改まるという場面に直面しています。中華を振興することは、ある意義では、我が古い民族の老化、退化を防止することではないでしょうか? 惰性、腐蝕性をとり除くために古い民族に新しい青春や命を取り戻すことではないでしょうか?
 私は北京のある青年作家のこのような見解に賛成です。「当代文学の追求はすなわち絶間なく自分の足元にある文化という岩を掘って行く事であり、すべての社会生活の純潔化、理想化、歴史文化の純潔化、理想化の傾向を途絶させることである。《作家達の追求するものは、見方、考え方、書き方の変化にとどまらず、題材、事件、人物の変化などの文学対象にもとどまらない。芸術的に世界の方式の変化と、現代小説に出てくる歴史文化の意識を把握し、あわせて、努めて民族全体の歴史生活において多年にわたって積み重なった深い仕組みの心理素質を提示するようにし、歴史の発展と新しい文化に内在した力を促進することを求めることにあるのです。
 この種の重要視する時間空間の立体性、深い伝統文化の仕組みと心理構造などは、目的は社会の中で個性に、歴史の中で人物の心理にとけこみ、合成した歴史構造の中の積み重なった「人間の本性《をより多く表現することにあります。


作品集

『山川呼粛』(長編小説)      1976年湖南人民出版社出版
『莽川歌』(短編小説集)      1978年湖南人民出版社出版
『芙蓉鎮』(長編小説)       1981年人民文学出版社出版
『爬満青藤的木屋』(短編小説集)  1983年人民文学出版社出版
『礼俗』(短編小説集)       1983年中国文連出版公司出版
『姐妹砦』(中編小説集)      1984年花城出版社出版
『霧界山伝記』(中編小説集)    1985年上海文芸出版社出版

主な作品

「金葉木蓮《(中編小説)      1981年『芙蓉』第3期
「浮屠嶺《(中編小説)       1982年『当代』第2期
「雲煙街夜話《(中編小説)     1983年『鍾山』第4期
「相思樹女子客家《(中編小説)   1984年1月『長江』
「蒲葉渓磨房《(中編小説)     1984年『昆侖』第1期

邦訳

『芙蓉鎮』杉本達夫・和田武司/訳 徳間書店 現代中国文学選集2 1987.10.31

 映画「芙蓉鎮《のビラ
        
作成:濱田詩織