Chén Jiàngōng
陳建功
ちん・けんこう
(1949- )


陳建功小伝:

 私は1949年11月24日広西北海市の知識人の家庭に生まれた。1957年両親について北京に転居。中国人民大学附属の小学校と中学校で学んだ。1968年高級中学卒業後、京西山区木城澗の炭坑で採掘労働者を10年つとめる。1973年『北京文藝』、『人民文学』などの刊行物に小説や詩歌、散文などを発表し始める。そのうちの一部の作品が英語やフランス語に訳され、『中国文学』に転載。1977年北京大学中文系に入学。1979年以降作品の発表が次第に多くなり、文壇の注意を引く。1981年中国作家協会北京分会に加入すると共に理事に選ばれる。1982年中国作家協会に加入、1985年中国作家協会理事に選ばれる。1982年大学卒業後、北京市作家協会で専業創作に従事して今日に到る。

私の世界

 文学は作家が鋳造し直した一つの世界に過ぎない。作家の情感の世界である。
 もちろん、この「世界」は大きなものであるかも知れないし、狭苦しいものかも知れない。ごちゃごちゃしているかも知れないし、単純かも知れない。ロマンチックかも知れないし、リアリスティックかも知れない。楽観に満ちているかも知れないし、悲観に落ち込んでいるかも知れない。どの「可能性」に属するにせよ、それは作家自身に属するものでなければならないし、そうあるのみである。
 そのような「世界」があってはじめて、その「世界」をよりよく展示する表現方式がうまれ、そして文学の一切ができあがる。
 一部の批評家たちは作家と作品を神秘化するのを好む。作家や作品を神秘化するすると、今度は批評家自身を神秘化することになる。若者が娘の前で自分の男の友達を神秘化するのを好むように。もちろんそれは彼等がやりたいようにやるしかない。相手が変っても同じようにするのだ。若者は誰でも娘の前ではいい格好がしたいものである。だからわれわれも他人が飯を食う茶碗をわざわざつぶしてしまう気はない。
 しかし作家は批評家たちに贈られた高邁な月桂冠を頭に頂いて、得意のあまり我を忘れることができるだろうか。もうそうなら、もとより徳を浅からず積み上げることになる。他人が「飯を食う茶碗」を提供しているからである。ただ作家が注意しないといけないのは、それによって自分の「茶碗」を割ってしまわないようにということである。
 作家よ、自分の「茶碗」をしっかりともつのだ。その「茶碗」とは簡単なものだ。そこに盛るのは、自分自身のもの、つまり感情にほかならない。

(『中国当代作家百人傳』求実出版社1989)


作品集・単行本

『前科』中編小説集 華藝出版社 1993.4=中国当代著名作家新作大系



邦訳

『棺を蓋いて』岸陽子・斎藤泰治訳 新しい中国文学1 早稲田大学出版部 1993.4.30/\2400



作成:青野繁治