[01整理番号]XX850513

[02作品名]火

[03作者名] 宇共

[04原載]『西湖』1985年第2期

[05頁]138〜142

[06ジャンル]短編小説

[07時代]1980年代

[08地点]明記なし。都市。

[09手法]リアリズム(写実的)

[10視角]一人称

[11人物] 「私」(女。婦連のメンバー)
朋朋(男。5才。生みの親は離婚、どちらも再婚したが、双方とも彼ひきとりたがらない。)
朋朋の母(再婚し、人が羨むような豊かな暮らしをしている。新しい夫へ気がねして、朋朋をひきとりたがらない。)
朋朋の父(再婚し、朋朋が手におえず、また新しい妻への気がねもあって、朋朋を街に置き去りにする。)
民警(男。)
円円(「私」の娘。)
張玉琴(朋朋の父の後妻。夫に朋朋を殴らせる。)

[12題材] 家族問題、離婚、再婚の犠牲になった子供、または親の立場、親子関係、児童虐待。

[13主題] 両親の離婚、再婚によってゆがめられ凶暴になった子供の心の“火”を描くことで、家族の問題を提起している。

[14言語] 標準語。固有名詞(阿童木、雷欧)。擬声語が多い。

[15描写] 「私」の目で物語が語られているが、「私」の感情表現が多い。文章は短く、会話文が多い。

[16構成] 章だてなし。146段落。
(1)〜(19)婦連のメンバーである「私」は公安局から電話があり、朋朋を迎えにいった。朋朋はその二日前大人(父親)と街にでて、はぐれ、車にはねられてけがをしていた。彼の離婚し、それぞれ再婚した両親はどちらも迎えにこなかった。朋朋が目をこすりはじめたので「私」はハンカチを差し出すが、彼はポケットから清涼軟膏を取り出し目にぬろうとしたので、「私」はあわててとめ、目にぬると目が開かなくなることをおしえた。それを知った朋朋はそれをくれた民警を罵り、殴りかかりかみついた。「私」は正直いって野生児のような朋朋が好きでなれず、彼の両親がどちらもひきとりたがらないのも無理はないとおもったが、公安局が扱いきれず、婦連に電話をかけてきたので、「私」は仕方なく、朋朋を外につれだした。
(20)〜(47)街へでると朋朋は数歩も行かないうちに「私」の手をふりきって走りだし、アイスキャンデイー売りの手押し車のところで立ち止まった。「私」は彼をつかまえ、トローリーバスの駅に連れていったが、また「私」のすきを狙って下水道工事をしている大通りに走っていき、太いパイプに入って出てこようとしなかった。「私」はアイスキャンデイーとひきかえに彼をでてこさせ、アイスキャンデイー買ってやる。
(48)〜(68)「私」は朋朋を母親の住んでいる場所へ連れて行った。母親は若々しく、肌も白くつやつやした女性で人が羨むような豊かな暮らしをしていた。朋朋をみると、彼を抱きしめ、涙を流したが、「私」が朋朋を母親に託そうとすると、朋朋は父親が育てることになっていると言い、朋朋の父親の手紙を「私」におしつけ、拒んだ。「私」は彼女に憤りを感じるが、彼女の苦しみを感じとり、心が揺れ、迷っているとまたもや朋朋が外へ走り逃げてしまった。
(66)〜(113)「私」と朋朋はすぐにうちとけた。晩、「私」は機関の独身寮に朋朋をつれていき、体を拭いてやろうとしたが、彼の体に新しい妻、張玉琴にけしかけられた父親に鉄の駆使の歯などで殴られた傷の多くのかさぶたを発見し、驚く。体を拭きおえた後、「私」は娘円円に買っておいた漫画を朋朋に贈る。大喜びする朋朋の横で「私」は昼間、朋朋の母親から預かった朋朋の父親の手紙を読み、朋朋が新しい妻のお金を盗んだり、放火しようとしたことを知り、朋朋を問いつめ、諭すが、朋朋は自分が悪いことをしたとは思っていない。こわい顔をするので、朋朋は「私」に宝物をあげると昼間「私」が朋朋の母親のマンションで見たガラスの猫を取り出す。どこからとったのかと「私」は問い詰めるが朋朋は拾ったと言うばかりである。
(114)〜(127)次の朝、父親が迎えにくることを知った朋朋はいやがるが、なんとかなだめる。朋朋はもしまた父親が殴ったら、物もらいをして「私」に会いに来ると言い、「私」は5歳の子供がこんなことまで知っているのかと心が沈む。
(128)〜(146)朝食後、父親が迎えにくる。父親は「私」に朋朋が怖いと言い、やっと家がもてたのに、朋朋のせいで離婚したくないと言い、ため息をついた。「私」は朋朋がまだ5歳で、大人が愛情を与え、まもってやらないと、朋朋の心の中の凶暴で危険な“火”は強くなるばかりだと考える。「私」は朋朋にもう悪いことはしないように指導し、連れ戻してほしそうに「私」の方をふりかえる朋朋を連れ戻したいのを堪えて見送った。

[17問題点]「私」を朋朋の両親と対称的に、模範的に描きすぎてはいないか。「私」が作者の理想とする親像だからだろうか。/作者は男性であるが、なぜ「私」を女性にしたのか。 /最後の場面で「私」が仕事をはなれ、感情移入せずに、朋朋をひきとらないことで物語のリアリテイーを獲得しているのではないか。/朋朋の指導のみで親の指導をしていない。/なぜ張玉琴だけ名前があるのか。

[18作者略歴] 宇共。男。1947年生まれ、河南新郷出身。1968年西安で中学に進学し、その後“挿隊”し、人民公社の幹部、列車乗務員、列車長などを経て、現在西安鉄路局宣伝部文芸創作補導員。1984年中国作家協会魯迅文学院に試験に合格し、入学、第8期学員となる。1976年共著で長編小説《汽笛長鳴》を出版、その後、次々と中、短編小説を発表。その中で《春天来了》と《過江》がそれぞれ全国鉄道第1、2回優秀文学作品奨を獲得。

[19その他]

[20報告者]島由子(1996/10/7)