01[整理番号]XX800105
02[作 品 名]蓋棺 〜談天説地之一
03[作 者 名]陳建功
04[原載]北京文藝1980年第6期
05[ページ]42-47(54)
06[ジャンル]短編小説
07[時代]50年代から文革後
08[地点]昌順紅松鉱山、炭鉱病院前の小さな広場
09[手法]フラッシュバック
10[視角]「説書」風の語り口、二人称の多見
11[人物]凌凱(炭鉱に来て4年そこらの学生、当初から報告文書の作成に長けており、将来有望な青年、書記の出世にも貢献した、発破事故で死ぬ)魏石頭(若いころは機微に富んだ男であったが、「ズボン一丁」が無かった所為で上京学習の機会を義兄弟の劉志に譲り、一生炭鉱夫の身分に甘んじることになる。またそのことで、炭鉱の仲間からも馬鹿にされる。時代の流れについていくことにおいての間の悪さと節操の無さから“老変”のあだ名がついた。酒と、歌を愛する。傷付いた凌凱を救わんとするが巻き込まれて死ぬ)魏石頭の妻(五十歳過ぎ、農村出身、教養がない)魏石頭の子供(三人、父の突然の死に泣きじゃくる)凌凱の父母(父は五十歳過ぎ、洗練された立ち居振る舞い)我(語り手、葬儀の参列者)イ尓(読者、聞き手、同じく葬儀の参列者?)劉志(魏石頭の義兄弟、石頭の替わりに北京へ行き、後に炭鉱長になる、文革中一時追いやられるが書記として復帰)
12[題材]炭鉱労働者の葬儀、「解放」から「文化大革命」後におよぶ社会変動と民衆、立身出世
13[主題]本当に“棺を蓋いて事定まる”のか?
14[言語]標準語、北方(北京)方言語彙の散見
15[描写の特徴]○発破の誤操作事故で死んだ二人の葬儀の様子を伝統的「説書」の語り口を用いて、時折二人と職場の仲間たちとの出来事をフラッシュバックさせながら描いている。○あくまでも貫かれる「陽の当たるところで生きてきたひと」と「能の無いひと」の対比描写
16[構成]p.46左l.3の「……」による分断、ほかは形式分章無し。以下はプロット配置による梗概を示す。・人は誰しも「棺を蓋いて論定まる」日を迎えなければならない。だが、英雄ならいざ知らず、名も無き民草には思案の仕様が無い。・炭鉱病院の前の小さな広場では、先日発破の事故で亡くなった二人の葬儀が始まろうとしていた。二人がそれぞれ収まっている棺は何処を取っても変りが無いのだが、そのほかは、死んだ人間も、その遺族も、彼らに対する炭鉱の仲間たちの想いも、手向けもすべてが異なっていた。西の棺に眠るのは古参坑夫の魏石頭、西に眠るは新進気鋭の青年凌凱。・魏石頭は若いころは酒と歌を愛し機転の利く男であった。だがズボン一丁無かったが所為で北京へ学習に行く機会を義兄弟の劉志に譲ったため、劉志は炭鉱長に出世し、魏石頭は一生一炭鉱夫に甘んじることになった。さらにかれはそのことで仲間の炭鉱夫からからかわれることになった。・年を取った石頭はただ皆のからかいの種になった。時のお上の施策にかなったつもりで小唄を作っても時の流れに付いて行けずその間の悪さに「老変」という仇名までつけられてしまう。・また、石頭の間の悪さは口の悪さも災いして、劉志書記を罵ったことや、避妊手術から逃げて来た妻を怒鳴りつけたことなどで、幹部たちに睨まれて危うく反革命分子のレッテルを張られそうにもなる。・追悼会は始まる。陽の当たるところで生きてきた人間は、死んでもその死に意義が有るとされる。だが、能の無い人間は死んだ後までまた浮かばれない。凌凱と魏石頭は数分と違わず前後して死んだのに、弔辞の内容からして二人の死の意義は全く違っている。・二人は一昨日の夜勤のとき事故で死んだのだ。凌凱は久しぶりに切羽に出て葉っぱを仕掛けるときにミスを犯し爆風に吹き飛ばされて死んだ。魏石頭はその凌凱を救わんとして落盤事故に巻き込まれ死んだ。「兄弟よ!逝かないでおくれ!」と何時の時代のものか解らないような言葉を叫びながら…・追悼会も終わりに近付いた。後は遺族のあいさつである。卒無く済ませた凌凱の父に続いてたったのが石頭の妻である。法外な要求を吹っ掛けられるのではないかと恐れる組合の主任をよそに、石頭の妻は詰まり詰まり謝意を述べたあと、懐から一枚の紙片を取り出し、これを棺の中に一緒に納めて欲しいという。それは三十年前、軍に無償で石炭を供給した際の一枚の受領書であった。皆はこれを知り涙を流した。とりわけ生前の彼を馬鹿にしていたものたちは激しく泣きじゃくっていた。彼らにはようやく解ったのだ。加えて「領導」と呼ばれる人間たちはどうなのか。・紙片を納めた棺は再び閉じられ、釘が打たれた。残された子供たちは棺にすがって泣いた。かくして二人の棺は墓地に安置された。「棺を蓋いて論定まる」という言葉が思い出される。人が死んだとき、一体どうやって「論を定め」ればよいのやら。
17[問題点]・葬儀も最後の親族による挨拶の場面での魏石頭の妻の見せた歯切れのよさは圧巻・政府の施策に対する批判とも読みとれる記述が数箇所に見られる。「p.43右/その後は、工作組、奪権、資産階級反動路線批判……上がったり、下がったり、情勢はまるで周り灯篭ののようにくるくると変わったが、いずれも党の呼びかけによるものには違いない。」「p.44右/でも、凌凱に脚色をして宣伝効果を高めた方がいいと言われるとそれもそうだと思い始めた。新聞だって影も形も無いことを書いているじゃないか。→両方とも「文革」中の施策のことを指してはいるが、あながち当時を通しての現在の批判とも読める。」
18[作者略歴]陳建功、男、現在31歳。高級中学を卒業後、京西炭鉱で鉱夫をする。1977年北京大学中文系に入学。「四人組」粉砕後、《京西有個騒韃子》などの短編小説が十余篇ある。(参考)陳建功(1949〜 )小説家。広西北海人。1968年畢業於中国人民大学附中,後在北京京西煤砿当過十年採掘工人。1977〜1982年就読於北京大学中文系。後在北京市文化局従事専業創作。1985年当選為中国作協理事。1979年後発表《流水弯弯》・《京西有個騒達(ママ)子》等短篇小説多篇。《丹鳳眼》獲1980年全国優秀短篇小説奨,《飄逝的花頭巾》獲1981年全国優秀短篇小説奨。作品富於京味,気韻流暢・色彩明朗。
主要著作:迷乱的星空(短篇小説集。白花文芸出版社・1981) 太陽石(中篇小説。《東方少年》1984年第三期) 找楽(中篇小説。《鐘山》1984年第五期) 陳建功中短篇小説選(北京出版社,1985) 〓毛(中篇小説。《十月》1986年第三期)《中国現代文学詞典》p.491 上海辞書出版社1990.12
19[その他]・“蓋棺事定”、劉毅→『晋書・劉毅傳』・「談天説地」シリーズの他作品→その二『鳳凰眼』、その三『〓〓把胡同九号』・翻訳:『棺を蓋いて』新しい中国文学1 岸陽子・齋藤泰治 訳/早稲田大学出版部 1993.4
20[報告者名]和田知久(19940523)