01[整理番号]XX800101
02[作 品 名]一個工厰秘書的日記
03[作 者 名]蒋子龍
04[原  載]『新港』1980年5期(4-14)
05[ 頁 ]4-16(13)
06[ジャンル]短編小説
07[時 代]文革終結後の1979年3月4日から1980年1月3日まで約10ヶ月
08[地 点]規模の小さな化学工場(東方化工場) 天津?
09[手 法]リアリズム/日記体
10[視 角]一人称描写
11[人 物]我(魏吉祥、男、40代後半、工場長付秘書)王工場長(男、50代、前工場長)駱明(男、50代、現副工場長、野心家、上昇指向)駱晶玉(女、26歳、待業青年、父親似の気位の高い女性)老劉(男、50代、共産党支部書記、質実剛健・実直・信頼されうる)金鳳池(男、50代、4代目の新しい工場長、 魅力的ではあるが、売名行為が目だつ。自分のために、家庭を軽視する。)金鳳池の家族(妻・娘・母親、金鳳池とはうまくいっていない。)厖万成(男、起重工、親の死に際して、金工場長の世話になる。)
12[題 材]工場内部の指導部人事問題・政治的問題。工場経営にたずさわる者と、共産党支部書記との対立。
13[主 題]工場経営にたずさわる指導部内での対立、特に共産党支部書記と工場長の対立において何が優先されるのか。身につけた処世術が、大衆の中でどう発露するのか。
14[言 語]標準語
15[描 写]自然描写が全くない。日記の体裁をとりながら、小説的である。
16[構 成]1979年3月4日より翌年1980年1月3日までの15日分の日記
1979年 3月4日 王工場長が劉党支部書記に見送られ工場を去る。
3月11日 副工場長が次期工場長に昇格との噂、適任でないと否定的な私。
3月12日 駱晶玉から、就職の便宜をたのまれるが断わる。
3月15日 新しい工場長がまもなく就任することを劉書記から知らされる。
3月18日 父親の突然の死で、遺体搬送のため厖万成は工場の車を当てにするも×。その問題を新任の金工場    長が解決する。
3月23日 新工場長のこの処置はホットニュ−スとして工場内に広まる。
4月2日 金工場長に同伴して会議に参加、彼の会議を乗り切る手練手管を見せつけられ、奇怪な感情を味わう。
4月25日 金工場長は、酪明の娘駱晶玉にさえも快く就職口の世話。
5月10日 会議のたびに、金工場長は記録を秘書の私に任せ、各部署で油売り。
    「資本主義国では組織に渡りをつけるのはお金だが、社会主義国では人間関係だ」と言い切る。
    私は彼の持論に嫌悪を感じる。
5月12日 副工場長が娘の就職のお礼に、金工場長を夕食に招待する。私も一緒にというが断わる。
(1979年6月〜9月までは記載省略)
10月9日 上級の出した、労働者への奨励金の指示について、
     金工場長と劉書記との間に意見の相違があり、彼らの関係は悪化。
10月10日 意見の対立の中で、ボ−ナスは金工場長の独断の形で支給。
11月2日 日曜日私は釣りに出かけるが、帰り道、偶然同じく釣りをしていた金工場長に会う。
     大漁の彼は収穫物を私に分け与え、自宅に誘う。初めて彼の家を訪れた私は、
     意外にも質素な彼らの生活に驚く。
12月31日 年末のボ−ナス支給のため、朝から銀行に出かけ、大金を持ち帰った工場長を、
     皆は喜んで迎えるが、劉書記とボ−ナス支給問題でもめる。
1980年
1月3日 前年度のボ−ナス支給凍結が上級より打ち出される。労働者は金工場長の先見の明に感動。
    午後人民代表を決める選挙。票のほとんどを金工場長が獲得、3枚の反対票と、1枚の「金
    鳳池はずるがしこい」とかかれた票。妻との喧嘩で家に帰れない金工場長の酒の相手をして
    いる私は、反対票の内幕をくどくど聞かされる。そんな彼を見て、私は彼に1票投じたこと
    を後悔する。
17[問 題 点]作者の視点がどこにおかれているのか。秘書という身分の不鮮明さ。
18[作者略歴](1941〜)天津の業余作家。河北省滄県生まれ。58年初級中学卒業、天津重型機器廠の見習工となる。60年、海軍に入って製図員となり、65年、除隊して工場に戻る。64年より天津の雑誌に作品を発表し始める。76年1月「人民文学」復刊第1号に書いた「機電局長的一天」は中共指導部内の実務派の観点を表現した作品で、文革推進派から批判され、自己批判した。文革終結後、活発な創作活動を始め、「喬廠長上任記」(1979)などの作品を書いている。工場戦線に題材をとった作品が多い。
19[その他]
20[報 告 者]笹川恵美子