01[整理番号]XY980807

02[作品名]浪跡辺地

03[作者名]謝友

04[原載]『珠海』1998年第3

05[]14(71-84

06[ジャンル]中編小説

07[時間]80年代

08[場所]上遊の脳庄(遼寧省西側、モンゴル自治区との境)

09[手法]現代の事実の中に伝説を取り込んでいく。魔術的リアリズム的手法が使われている。

10[視角]一人称

11[人物]私(落生、農民)、私の父(大学受験に失敗し野良仕事も手につかず、書社につとめ、臨時教員をしている)、鮑爾吉(私の伯父、貸し付け人)、私の母(鮑爾吉の姉)、青豆(私の幼なじみ)、小石匠(私の幼なじみ、石工)、青豆の母(未亡人)、老王(派出所の所長)、小石匠の父(かつて土匪だった)、小石匠の母、出稼ぎ石工たち、老蒙医(かつてラマ僧だった)、ラマ僧たち、包先生、張先生、陳先生、先生たち、富商老Q(絞殺死刑執行人から仕立て屋になり、後に旅蒙商になり自伝を書いた)、郷党委員書記、文化站長、鮑爾吉のボディーガード2人(手のあいた時期には寺に農作業奉仕をする)、清掃員(老駝背)、学生たち、脳庄の男・女

12[題材]辺境、河、羊皮の筏、羊料理、馬、“高草”(男性のタイプ4)、のら仕事、石工、酒場(野驢酒家)、劇団、「水滸伝」、出稼ぎ(石工)、賃金交渉、出版、詩、成人儀式または通過儀礼(祭刀儀式、ピアス)、死刑、羊料理、瑪瑪(蒙医とラマ僧をひっくるめて言う)、臨時教員、厳打(取り締まり)、結婚、幼なじみ、仲たがい、霊魂、売春、警察官の不正と冤罪による逮捕

13[主題]私に近い人々の生きざまを記すことによって懐かしい故郷の神秘(時空間)を追体験する。

14[言語]中国語。方言、俗語、四字熟語または四字に揃えた言いまわし(重ね型形容詞も含む)、オノマトペが多い。

15[描写]内的独白はほとんどなく、たんたんと時間を追う。辺境地域・脳庄のもつ独特な雰囲気がファンタスティックに描写されている。

16[構成]8章(441段落)。1章(131)私の父と鮑爾吉の若い頃。父と母との結婚。

家の門を格好よく作らせ自筆の対句をはる父。2章(3282)私、青豆、小石匠の交流。青豆の門出、街の劇団へ。3章(83135)数年後。劇団がつぶれたが脳庄に帰らない青豆と彼女を思う小石匠。鮑爾吉と私、私の家へ。老Qの自伝再版を計画する父、鮑爾吉に資金援助を求めるが断られる。4章(136211)鮑爾吉と私の父の関係悪化。(鮑爾吉負傷、私の家で看病。鮑爾吉、出世。かたや臨時教員の父。)5章(212266)私の父と小石匠。父、出稼ぎ石工の賃金交渉に失敗。6章(267346)劇団が脳庄に呼ばれ、青豆が芸を披露。一躍、村のアイドルになった青豆、私をひいき目で見、小石匠にはつれない。7章(347398)鮑爾吉、運送用に巨大な羊皮筏をつくる。小石匠寝込む。青豆、警察に捕まり鮑爾吉が身元引き受け人になる。8章(399440)青豆と鮑爾吉の結婚。小石匠と鮑爾吉とのけんか。小石匠の死(石山を一括爆破する事になったが小石匠は自分の彫った詩が気に掛り、爆破寸前の石山に駆け込み死亡。残された詩の文句;「我駕駛馬車穿過耳環」)。小石匠の死を思い出し、ほろ苦い思いになる青豆。小石匠(霊魂)、皮刑にあった老Qに会う。書店に『我駕駛馬車穿過耳環』という本が並ぶ。

441)今。ナレーションの私。(私が脳庄を離れて長い年月が過ぎたが、まだ書ききれていない事柄がたくさんある。青豆は幸せに暮らしているだろうか?まだ若く美しいままだろうか?私は老いた。)

17[問題点]●小石匠が死に、青豆がほろ苦い思いをするというあたりがこの作品のオチかもしれないが、脳庄での他の出来事(父と鮑爾吉との関係史)と同列になっているため、結局は単なるエピソードに過ぎなかったのかという印象をうける。●私と父と鮑爾吉の関係は報告者の常識を超えており面白く感じた。こうした私心の放浪も題名に関わっているのか?

18[作家略歴]謝友、男、1948年生まれ、湖南省長沙の人。1986年、遼寧文学院を卒業。1977年から作品を発表し始め、短編小説「窯谷」、「馬嘶,秋訴」がそれぞれ8586年、8788年度全国優秀短編小説賞を受賞している。当雑誌では、以前「三省庄園」、「黒網」が発表された。現在は、遼寧省阜新市文化局創作室の創作員で、中国作家協会の会員である。

19[その他]タイトルの頁、3章に挿し絵あり。2章に民謡あり。

20[報告者]上原かおり