Jīngpài

京派

きょうは


京派とは


 30年代に北平で文学活動に従事した作家グループをさす。二十年代末に語絲社から分化し残留した、霊性・趣味を重んずる作家として、周作人、廃名(馮文炳)、兪平伯が、また『新月』月刊と関係が比較的深かった作家として、梁実秋、沈従文、凌叔華、孫大雨、梁宗岱がいた。さらに清華大学、北京大学の教師や学生として、朱光潜、李健吾、何其芳、李廣田、卞之琳、蕭乾、李長之らがいた。

 彼らの思想や芸術傾向は、必ずしも一致していたわけではないが、三十年代前半期に、文学的主張と創作において、共通の或いは近似した、審美的追求を行い、鮮明な芸術的特徴を形成していた。

 主な刊行物としては、廃名、馮至らが編集した『駱駝草』(1933年から編集を受け継いだ、1931年創刊)、沈従文が『大公報』副刊『文藝』、卞之琳、沈従文、李健吾らの編集した『水星』(1934年10月創刊)、朱光潜の編集した『文学雑誌』(1937年5月創刊)などがある。

海派との論争

 1933年から1934年にかけて、「京派」は「海派」と論争を行った。この論争は沈従文が起こしたものである。彼はまず『中国の創作小説を論ず』という文で、「海派」文学は「創作の精神が次第に堕落してきている」と非難した。沈従文は当時のこの堕落のリーダーが張資平であると考えた。彼は1933年10月18日、『大公報』の『文藝副刊』第9期に「文学者の態度」を発表し、「海派」作家に「玩票白相」精神という商業化傾向の存在することを批判し、彼らが「上海で暇をもてあまし」、「暇だから、毎週三四回は談話会の類を開いている」と嘲笑した。

 そこで上海にいた蘇汶が『現代』第四巻第二期に「上海における文人」を発表し、真っ向から反論した。沈従文は、続いて「『海派』を論ず」「海派について」「穆時英を論ず」「新文人と新文学」などの文章を書いて、「海派」作家に対して、大いに筆伐を加えた。

 当時左翼作家はこの論争にはまだ巻き込まれていなかったが、何人かの作家は局外者の角度から評論を書いている。たとえば魯迅はこの論争を称して、「京派の大御所がかつて大々的に海派のチンピラを嘲笑し、海派のチンピラのほうからも、ささやかな反撃があった」と述べている。さらに「北京は明清の帝都であり、上海は各国の租界である。帝都には役人が多く、租界には商人が多い。ゆえに北京にいる文人は役人に近く、上海にいる文人は商人に近い。役人に近いものは、役人に名を得さしめ、商人に近い者は商人に利益を得させ、それによって自分の口をすすぐのである。要するに『京派』とは役人の幇閑であり、『海派』とは商人の幇忙であるにすぎない。役人から食をうるものは、その情状は隠れているが、対外的には倣岸不遜になることができる。商人から食を得るものは、その情状が明らかであり、いたるところ覆い隠すことが困難である。そこで、そうなったわけを忘れると、結局、清濁の区別によることになる。然るに役人が商人を軽蔑するのは、中国の古い習慣であり、ますます『京派』の眼中では、『海派』が嘲笑されることになる」(『且介亭雑文二集』・「京派和海派」)と述べた。

 そのほかにも姚雪垠、祝秀侠、曹聚仁、胡風などがそれぞれ文章を書いて、京派及び海派の不健康な傾向を批判し、特に京派作家の「風雅」「優美」を追求する傾向及び周作人を代表とする一部の人々の紳士気質と現実逃避的傾向を重点的に指摘した。

 実際には京派内部でもメンバーの観点は悉く一致するわけではなく、沈従文などは、「馮文炳を論ず」などの文章で、周作人、兪平伯などの「趣味悪化」現象を批判している。

詩の朗読会

 30年代中期、京派作家は詩の朗読会を組織し、定期的に活動を展開した。その場所は北平后門慈慧殿3号の朱光潜の家であった。参加者は、北大から、梁宗岱、馮至、孫大雨、羅念生、周作人、葉公超、廃名、卞之琳、何其芳、清華大学からは、朱自清、兪平伯、王了一、李健吾、林庚、曹葆華、それ以外からは、林徽因、周煦良などである。当時北平にいなかった凌叔華、蕭乾らを除くほとんどすべての京派作家が、朗読会の活動に参加している。朗読会では、参会者は聴衆を前にして、新旧の詩や外国の詩を朗読したり、新詩の朗読の問題を討論したりした。ときには、徐志摩、朱佩弦、老舎の作品のような散文を朗読することもあった。

文藝奨

 1937年、沈従文の主催で、『大公報』は何其芳の『画夢録』、曹禺の『日出』、芦焚の『谷』などの作品に文藝奨を送ることを決定した。これは京派の文学界における影響力を強めることになった。

京派の代表作家たち

 京派の詩歌と散文における代表作家は、周作人、兪平伯、何其芳、李廣田、卞之琳である。文藝理論方面での代表作家は梁実秋、朱光潜、李健吾、李長之であり、小説方面での代表作家は、廃名、沈従文、凌叔華、林徽因、蕭乾、及び四十年代に文壇に登場し、西南聯合大学で沈従文が教鞭を執った頃の学生汪曾祺である。

(『中国現代文学社団流派辞典』上海書店1993.6)


参考文献

『京派小説選』  人民文学出版社 呉福輝/編 1990.11/6.05元
京派文学作品専輯 上海書店影印 1990.9/全10冊38.80元


作成:青野繁治