Jiǔyèpài

九葉派

くようは


解説:

 九葉詩派は社団という組織形態を持たない。江蘇人民出版社が1981年に出版した数名の詩人の代表作を集めた『九葉集』からその名を得た。彼らの活動期間は、1945年から、1949年までの間に集中している。活動地点は上海、北平、天津、杭州、南京などである。彼らは詩が「現実に根をおろしながら、現実に束縛されてはならず」(陳敬容)、「内から外へ、近くから遠くへ、自分から他人へ想像を広げ、生活に面と向かい、生活の深いところにある、半意識的な、あるいは非意識的な部分に向かって戦いを挑み、豊かで雄大な新天地を切り開く」(唐堤湜)ことを主張する。詩という芸術において、彼らは形象思惟の力を発揮することを主張し、新しい表現手段を探求した。たとえば「新詩の演劇化」(袁可嘉)という目標を立て、意志と感情を詩的経験に転化し、詩に劇的な表現を獲得させようとした。
 九人の詩人のうち、辛笛、陳敬容は早くも30年代には詩作を発表していた。唐祈は1942年西北聯合大学文学院歴史系を卒業した。唐湜は1948年浙江大学外文系を卒業しているが、在学期間中に省内の雑誌・新聞等に詩作や評論を発表している。穆旦、鄭敏、杜運燮、袁可嘉は40年代初期および中期に前後して西南聯合大学を卒業した。杭約赫(曹辛之)は『詩創造』および『中国新詩』の発起人であり、主催者である。『詩創造』は1947年7月上海で創刊、辛笛が資金を集め、上海星群出版社から出版された。作品の内容はほとんど、異なる角度から当時の現実の闘争生活を反映するものだった。1948年10月当局によって禁止処分とされた。全部で16輯を出版。杭約赫(曹辛之)と陳敬容、唐湜、辛笛、唐祈らは別に『中国新詩』月刊を出している。ここに詩作を発表しているのは、曹辛之、徐遅などで、理論的文章を発表しているのは、馮雪峰、袁可嘉らである。そのほかに戈寶權之琳、方平、羅大岡らの翻訳した、プーシキン、レールモントフ、エセーニン、エーデン?、リルケらの詩作も掲載されている。『中国新詩』は、当時の現実の暗黒を暴露し、人民解放戦争を謳歌したので、創刊の年にすぐ封鎖処分を受けた。『九葉集』は9人の詩人の主要作品を収めている。たとえば杭約赫の長詩『復活的土地』は、旧上海のさまざまな人物を描写し、自分の光明に向かう希望を表現している。唐祈の『時間與旗』は現代派的表現形式で、旧上海の繁栄の背後にある暗黒を暴露した。9人の詩人は詩歌創作のなかで、知り合い、詩友として結びつき、「詩と現実の関係、詩歌芸術の風格、表現手法などの方面で、相当一致する考え方を持っている」がゆえに、「風格上一つの流派を形成する」(袁可嘉『九葉集・序』)のである。

中国現代文学社団流派辞典上海書店1993.6)


関連資料

『九叶之树长青――“九叶诗人”作品选』

王圣思选编

钱谷融主编 中国新文学社团、流派丛书

华东师范大学出版社 1994.10/15.10元

作成:青野繁治