Shīgē
詩歌
しいか


 中国現代文学における詩歌は、文学革命運動における胡適の創作実験から始まると考えられる。アメリカで英文学や哲学を学んだ彼は、中国語の現代詩の創作実験を始め、折々に発表していたが、それらを集めたのが『嘗試集』(1920.9)である。その実験は必ずしも成功したとは言えないが、中国の詩体改革にひとつの道を開いたものとして評価できる。
 1920年代になると、日本に留学して医学を学んでいた郭沫若が、上海の泰東図書局から詩集『女神』(1921)を出版する。郭沫若はホイットマンの詩を読んで、それまでの個人的な鬱屈や民族的な憂いが噴出し、噴火口を見つけ出したかのように生まれでたという。「序詩」を含めて57編の作品が収められているが、その第一部は「詩劇」、第二部はホイットマン的な勇壮豪放な詩、第三部はタゴールのような清らかな淡いムードの詩が中心である。全体として、自我の解放、封建的権威や偶像崇拝に対する反抗を歌ったものが多い。
 1920年の北京大学を卒業した朱自清は、文学研究会に加入し、五四運動の影響をうけ、初期は時代精神にあふれる詩作品を書いたが、1923年に書いた「滅」 は、新詩運動始まって以来、初めて中国の伝統詩歌の技巧をもちいた長詩と称されている。朱自清には他に詩集・散文集踪迹(1927がある。
 聞一多は、1922年清華学校卒業後、アメリカ留学中にシカゴ美術学校やコロラド大学で美術を学ぶ傍ら、西洋文学を読み、また中国詩歌の格律の研究を行い、新詩の創作も行った。1923年に最初の詩集『紅燭』を出版した。帰国後は、新月社に加入、1928年に徐志摩、梁実秋らと『新月』月刊を創刊した。同年、第二詩集『死水』を出版している。