歴史文学・歴史小説

LìshǐWénxué・ LìshǐXiǎoshuō れきしぶんがく・れきししょうせつ


解説 一般に歴史を題材とする文学をいう。形式によって、歴史小説歴史劇叙事詩史伝などがある。
 中国文学においては、例えば司馬遷の歴史書『史記』のなかの「列伝」は、文学性の高い名文で有名であり、いわゆる歴史といわゆる文学とのジャンルの境目はあいまいであった。 魏晋南北朝時代の志怪は超現実的な怪異を述べつつ、歴史上の実在人物に関する怪異なエピソードも収録されており、それを集め記録した人々はそれを「真実」であると信じていたようである。
 歴史が事実を離れて、面白さを追求することで、文学に傾いていったのは、宋代に発達した「講史」からであろう。 発達する都市の娯楽として歴史に登場した演芸場で、プロの語り部(講談師)によって、語られる「歴史」の講釈、またそのネタ本としての「講史話本」は、観客の反応を考慮しつつ、話をおもしろおかしく敷衍することになり、高度なフィクション性を獲得することになった。
 南宋から元にかけての有名な講史話本に『大宋宣和遺事』がある。これは秦から始まって中国の歴代王朝の皇帝を批判しつつ、物語の時代つまり北宋末期の徽宗皇帝の悪政へと話を進めていく、きわめて政治的なテキストであるが、これに登場する「宋江ら三十六名」の反乱の話が発展して、明代に『水滸伝』という長篇小説が成立する、というのは有名な話である。
 また晋の陳寿が表した歴史書『三国志』を意識的に敷衍(ひきのば)して、明代に成立した『三国演義』(通俗演義三国志傳)は、中国の古典的歴史文学の最高峰とも言われるが、ここには真実を伝える歴史の要素よりも、劉備や諸葛孔明など、人物の人格や思想を賛美する文学的な要素が色濃く表れた。
  中国の近代文学において、歴史を題材とする歴史小説を書いた作家は非常に多い。
  歴史小説の代表作家といえば、魯迅郭沫若施蟄存があげられる。また歴史劇というジャンルであれば、郭沫若を筆頭に、陽翰笙陳白塵といった作家がいる。
 魯迅の『故事新編』は、…。  施蟄存の『将軍底頭』に納められた四編の歴史小説は、いずれも歴史題材に新たな生命を吹き込むだけでなく、フロイトの精神分析という現代的な方法論による実験的な試みが成功した例である。
 郭沫若は主に小説より、歴史劇の方に力を注いだ。『棠棣之花』『屈原』『虎符』『蔡文姫』『武則天』『孔雀胆』などが1930年代から1940年代にかけて書かれた。
 太平天国に取材した芝居を書いた陽翰笙、陳白塵らもそうだが、左翼運動の中で活動し、抗日という時代のなかで、文学のテーマを追求しようとすると、どうしても政治的な主題から離れることが難しいが、  彼らはそれらの作品を書いたことによってまた後に批判を受けることになる。政治と歴史というのは、両刃の刃であった。
 文化大革命以前から書き始め、文化大革命が終わってからも書きつがれ完結した姚雪垠の大河ロマン『李自成』(全5巻12冊)は、作者によれば毛沢東の両結合(革命的リアリズムと革命的ロマン主義の結合)の手法を使って書いた歴史小説である。  姚雪垠は史実と虚構の処理に苦労したことを創作談に書いているが、基本的には、歴史的事実を尊重した上で、その空白部分を想像によって埋める、という態度であった。すなわち基本的にリアリズムの姿勢を崩していないと言えよう
 それに対し、映画『英雄ヒーロー』原作者として注目される若手の李馮が描く歴史小説は、「唐朝」にせよ、「もう一人の孫悟空」にせよ、歴史の枠組みは一つの材料であって、それを脱構築するなかで、奇想天外な物語りを作り出す、という方法をとっている。