目次

序章 読みの規範としての性

第一部 「恋愛(ラブ)」のプロトコル
第一章 恋人は友だち、妻は妹
第二章 二人のみゆき
第三章 子供と愛情
第二部 「性(ジェンダー)」のプロトコル
第四章 心変わりという制度
第五章 赤面する男
第三部 「性(セクシャリティ)」のプロトコル
第六章 好色がドン・ジュアニズムに変わるとき
第七章 「性」の誕生
第八章 サド・マゾ・ファンタジーの成立

終章 バイリンガリズム――複数のプロトコルに向けて

参考・引用文献
あとがき


序章 読みの規範としての性

 一九七〇年代に青少年時代を過ごした方ならば、『あしたのジョー』の終わり近く、白石葉子が矢吹丈を選手控室に訪ねるシーンを覚えていることだろう。チャンピオン、ホセ・メンドーサとの試合を棄権させようとする葉子は、丈がパンチ・ドランカー症に冒されていて危険な状態にあることを懇々と説く。だが、丈はその話に全く興味を示さず、控室から出ていこうとする。思い余った葉子は出口の方に駆けていき、丈の前に立ちふさがると、「好きなのよ、矢吹くんが」と叫ぶ。しばらく驚きと当惑の沈黙があったのち、丈はそれでも決意が変わらないという。やや落ち着いた葉子は、「愛する人を廃人となる運命が待つリングにあげることはできない」と続ける。このあとで「世界一の男がおれを待っているんだ。だから、いかなくっちゃ」という丈の名セリフがあるのだが、この場面を長々とおさらいしたのはそれを引用したかったからではない。私は葉子の告白のなかの、「好きなのよ」から「愛する人云々」への変換に興味があるのだ。
 暉峻康隆(てるおかやすたか)はその著書『好色』のなかで、次のようなエピソードを紹介している。それによると、明治初期の大翻訳家、二葉亭四迷はツルゲーネフの小説の翻訳に際して、「あたしあなたを愛しているわ、アイ・ラヴ・ユウ」というフレーズの適切な訳を思いつかず、さんざん思い悩んだあげく、「死んでもいいわ」と訳出したという。暉峻は、その理由を、「愛する」という動詞が「男女の恋の告白用語」として使われていなかったからだとしている。実際には原文は「愛しているわ」ではなく、「わたしはあなたのものよ(あなたのためなら何でもするわ)」となっていて、これなら日本人女性にでも「恋の告白用語」として口にできそうである。しかし、そのことはここでは大して重要ではない。注意すべきなのは、暉峻が考えるとおり、「愛する」という単語が女から男に対する「恋愛」感情を示す表現として読まれるようになったのはおそらく、二葉亭がツルゲーネフを訳していた明治初年代以降であり、それ以前はこの単語では女性の男性に対する好意を表現することができなかった。その代わりとしては、江戸の遊郭に根拠を持つ「好色」という範疇と、それをめぐる語彙しかなかった。したがって、女性からの「愛しているわ」という形での告白は不可能だったということである。
 「恋愛」という言葉が、loveの翻訳語として明治二十年代中頃に作られ、広められたことは、すでに多くの研究者によってさまざまな角度から論じられてきた。新しい訳語「恋愛」は「好色」や「粋」といった言葉で表現される、伝統的「恋愛」観・性愛観とは、きわめてかけ離れたものを表現していた。「恋愛」は、徳川時代の性愛のパラダイム(枠組み)における単語「愛恋」をさかさまにして製造された新造語である。それは、江戸の遊廓の制度に根差した「淫靡な」連想を持たず、「精神的」で「平等」な男女関係を含意するはずのものであった。これが翻訳語であることは、最初の頃はこの語が必ず「ラブ」というふりがなを伴って使われていたことからもはっきりしている。
 一方、まったく新しく作られた「恋愛」とは違って、二葉亭が用いることのできなかった「愛(する)」の語自体は翻訳語ではないが、この言葉の意味するところは同じような軌道をたどったように見える。「愛する」は十八世紀以前には「(男が女を)可愛がる、寵愛する」という、男女のヒエラルキーを前提とした意味が基本的である。女は男を恋い慕うべきであり、男は女を慈しむべきであった。江戸の初めに、吉原をはじめとする遊廓が整備されるに伴って、この語義がさらに先鋭なものとなったことはいうまでもない。この意味での「愛する」は明治二十年代に「恋愛」が発見されるまでおおむね継続する。
 たとえば、ブルワー・リットンの『アーネスト・マルトラヴァース』を訳した『花柳春話』(明治十一年)は、題名に「恋愛小説」という意味で「花柳」という形容を冠している。このことからも想像できるように、これは江戸の「好色」のイデオロギーに基づいて、西洋の「恋愛小説」を再話したものであった(木村毅「解説」)。まさにそれゆえに、このテキストのなかでは読者は、「恋」と「愛」の語が訳者によってきれいに使い分けられているのを見る。「男[マルトラヴァース]固(モ)ト女[アリス]ヲ愛シ、女マタ男ヲ恋フ。」すなわち、男を「恋する」のは女のアリスであり、女を「愛する」のは男のマルトラヴァースなのである。全編を通じてこの使い分けは逆転しない。これは単なる言葉のあやではなく、「恋愛」関係において男女の階層的秩序が自明なものとして前提されているからである。
 ところが、「恋愛」が翻訳語として誕生し、西洋のロマンティック・ラヴの思想が導入されるのとほぼ平行して、「愛する」という動詞も、その思想に沿った意味に記号内容を変えていった。「恋愛」が作り出された当初には、動詞としては「ラブする」、あるいは先述のとおり、ふりがな付きの「恋愛(ラブ)する」という表現が使われていた。一方、これと並んで、loveの意味で「愛する」が使われ始める。要するに明治二十年代に入ってから、西洋語のloveの内容が理解され、それを表現するべく「恋愛」という語が作り出されたのに対応して、「愛する」と動詞loveの同定も行われたと考えられるのである。
 新たに発見された「恋愛」や「愛する」が明治の日本人にとって――そして、多かれ少なかれ今日のわれわれにとって――意味していたものについては、すでに先にあげたような著作でさまざまに説明されているし、以下の各章でおいおい詳しく見ていきたい。ここではこれらの単語が使われていた言説の種類についてだけ触れておこう。
 「恋愛」の語をもっともドラスティックに用いて、その普及を決定的にしたのは、「恋愛は人生の秘鑰[秘密の鍵]なり」の書き出しで知られる、北村透谷の論文「厭世詩家と女性」であった。同じ頃に「恋愛」を使用している例は、小説などよりも、むしろキリスト教系の文学者たちが書いたエッセイに見られる。このように、「恋愛」の語は最初、もっぱら批評的言説においてその用法を確立するのである。具体的な発話・行動・状況のなかでの使用、たとえば、散文小説のなかでの使用は、評論の語彙としての「恋愛」に数年遅れ、それを踏襲するものに過ぎなかった。
 Loveの意味で使われた「愛」についても同じことが言える。「愛する」の意味変化、すなわち、「好色」に規定される「愛」からロマンティック・ラヴを表現する道具としての「愛」への変化は、「恋愛」という新造語の発生にやや遅れたようであるが、複合語の形での「愛」は西洋のloveの導入においてむしろ先行している。たとえば「相愛」という形である。この、男も女もひとしく互いに「愛する」という観念は、先に引いた『花柳春話』的イデオロギー、すなわち「男は愛し、女は恋する」という定式からは許されないものである。
 こうした常識に逆らう、西洋の「進歩的」・啓蒙主義的・市民社会道徳における恋愛結婚の理想が、「相愛」という表現にはもられている。それはおおまかに言って、精神的同質性――今の日本人なら「性格の一致」、アメリカ人ならコンパティビリティと呼ぶもの――に基づき、共通の理想を目指し、相互に尊敬し「愛し」合う夫婦像に重なるものであった。このような発想は明治初年代に啓蒙思想家たちによって宣伝された。たとえば、中村正直は明治八年の、良妻賢母の理想を説いた演説で、こう説いている。「[妻が夫と]相愛シ相敬スルヤウニナリタレバ此等ノ心配[男女平等の結果、夫が軽んじられるという心配]ハナカルベシ。」(「善良なる母を造るの説」、三〇一頁)
 「相愛」というような複合語の場合でも、「恋愛」と同じく、新しい翻訳語・翻訳概念は文学作品より批評的言説に先立って登場している。二葉亭の『浮雲』(明治二十〜二十二年)では主人公の文三が、相思相愛だと自分が信じているお勢の敬意を欠いた態度を訝って、「相愛は相敬の隣に住む[はずなのに]」とひとりごちている。この文三の意識、つまり、「相愛」が「相敬」と並行するべきものだという意識は新しいものであった。それは、一つには男性の女性に向ける尊敬という、旧来の階層秩序にはなかった概念をもたらしたからであり、また、一つには、「愛」と「敬意」という二つの概念に新たにパラディグマティックな関係を作り出した、すなわち、同一の範疇にこれらを置いたからである。
 この関係は、これ以後の日本人の発想をしばり続ける。たとえば、これからほぼ四十年後の昭和二年に性科学者羽太(はぶと)鋭治は、『性愛研究と避妊の知識』において「満足な結婚生活を送るにはもちろん恋愛と尊敬が必要である」(九二頁)と書いている。彼は何気なしにこの二つ――恋愛と尊敬――を並べているが、両者の結びつきは実を言うと歴史的なものである。それからさらに四、五十年たった今日のわれわれにあっては、この発想はやや弱まっているようにも思えるが、私の友人は、「尊敬してくれなかったから」という理由で恋人から別れを宣告されている。少なくとも意識のあり方としては、この発想はまだ有効であるらしい。
 そして、『浮雲』の文三の思いは、そのような用法がすでに社会的に認知されていたからこそ可能だったのである。二葉亭が中村正直の論文を読んでいたかどうかは分からないが、すくなくとも二葉亭が『浮雲』で「相愛」と「相敬」を結びつけたのは、中村が自身作り出すと同時に自らも取り込まれていた批評の言説のネットワークに二葉亭も依拠していたからなのである。こうして、loveの意味での「愛」は、まず論理的文脈でその用法を定位した。
 「恋愛」あるいはloveという意味での「愛する」という単語のこうした出自は、今日におけるその用法にいまだに影を落としていると思われる。つまり、「愛する」の語が批評的・理論的言説に結び付いているのに対して、「好き」という語は具体的なシチュエーションに喚起される表現なのである。別な言い方をすれば、「愛する」は叙述的・分析的・客観的文脈では用いられ、感情的・短絡的・主観的な文脈では「好き」が現われると言ってもいいだろう。
 「愛する」は暉峻が言うところの「男女の告白用語」の地位を今日でも完全には獲得していないと私には思われるが、それはおそらくこの間の事情に由来している。恋人に対して「女性を愛することは人生のもっとも重要な意義である」と一般論として言える男性も、「ぼくは君を誰よりも愛している」などと言うのには少し気後れを感じるだろう。これは『あしたのジョー』からの引用で見た、葉子の「好きなのよ」と「愛する人云々」の使い分けと見事に対応している。(一般に)「愛する」人をみすみす死においやることは非人間的である。しかし、そのような一般論よりも何よりも、とにかく私は、あなたが「好き」なのだ。
 しかし、ここで確認しておきたいのは、「愛する」と「好き」が、単に発話領域が違うだけの同義語ではないということである。現在、われわれが使う「愛する」はあくまでloveの翻訳語であり、その限りにおいて相互的であり、建前としては男女平等的であり、また、友愛、尊敬、精神性、倫理性、理想主義、誠実さなどに深い関連を持つ概念である。そして、このような含意を日本の江戸時代以前の性愛の語彙は持っていなかった。少なくとも、「恋愛」が移入される直前に「好色」や「粋」といった語で表現されていた性愛のパラダイムは、そのようなものとはほとんど正反対だったのである。それは倫理よりは美意識、精神よりは身体、尊敬よりは執着の原理が支配する世界であった。
 だとすれば、「好き」から「愛する」に日本文化が愛情表現を変えたとき、日本人は性愛のシステムを変えたのである。あるいは、この二つが今、併存している以上、二つのシステムを共存させることにしたと言ってもよい。したがって、葉子の丈に対する「恋愛」感情は、すでに分裂したものだと言えよう。もちろん、「分裂」といったとき、感情は一貫したものであるべきだという価値判断がすでにそこに入ってきているのだが。
 実際のところ、こと「恋愛」について言えば、完全に別種のシステムの可能性という考えは、落ち着きのいいものではない。「(恋)愛」という言葉がたかだか百年の歴史しか持たない舶来品であるという説だけでも、大多数の人にとって驚くべきことであり、不安な発見である。「(恋)愛」は人間の基本的条件の一つ、いや、そのほとんどもっとも重要な案件であるように普通、思われているからだ。「(恋)愛」を持たない時代が、社会が、あったとしたら、それは時代の非人間性のせいなのか。それとも、「恋愛」というものが実はそれほど価値あるものではなく、移ろい消え去るかもしれない歴史的なものだということなのか。こうした、人の心を騒がせる疑惑を、この発見は喚起する。
 このことは「(恋)愛」が優れてヒューマニズムの基本概念であることに起因すると言えよう。透谷も「恋愛」は「人類の霊生の美妙を発暢する者」だと主張した(「伽羅枕及び新葉末集」、七二頁)。だとすれば、「恋愛」のない社会を想定することは、「(恋)愛」をおとしめ、ひいては、普遍的価値の存在をあやうくし、「人類」という理想そのものを疑う行為になりかねない。
 こうした事態を回避する方法は一つしかない。「恋愛」を持たない言説空間があったとしたら、それは単に「恋愛」という言葉がなかっただけで、その言説を通用させていた社会にも、「恋愛」とわれわれが呼ぶものは存在していたと考えることである。つまり、「恋愛」が内包するような、情熱的愛情、真剣さ、精神的・脱俗的なものへの希求、女性に対する憧れ、犠牲的精神などは、江戸の日本文化にも存在したのであって、ただそれが明白に意識化され、言語化されていなかっただけだと考えることである。
 かくて、人はこう信じようとする。徳川日本の性愛のパラダイムの主流として機能していたように見える「粋」や「好色」はあだ花的存在で、その底流に隠されていた「恋愛」こそ江戸の人間の「愛の真実」だったと。かつて明白に意識されていたのは「粋」とか「好色」とかいった概念で表現されるような性愛観であった。しかし、それらの概念は、特に江戸の末期におけるその内包は、「恋愛」と接点がほとんどない。だからこそ、翻訳語「恋愛」は作り出されなければならなかった。
 そこで、「好色」のイデオロギーとは異なる、あるいは、異なると論じやすいところで、「恋愛」に相当するような事例が探し求められることになる。たとえば、よく引き合いに出されるのが近松門左衛門の劇世界である。そこでの恋人たちの情熱的恋愛感情、相互に向けられた信頼と犠牲、宗教的パトス、これらが西洋近代文学の恋人が開示していたような愛の形と比較される。透谷は『歌念仏』のお夏をロマンティック・ラヴの体現者に見立てる。「其[お夏の]情は初に肉情(ラスト)に起こりたるにせよ後に至りては立派なる愛情(アフエクシオン)にうつり果は極めて神聖なる恋愛(ラブ)にまで進みぬ。」(「歌念仏を読みて」、八五頁)
 しかし、このような立論はよくよく考えると、かなり疑わしい。たとえば、確かに近松には彼岸的なものへの志向というものはあったかも知れないが、それがロマンティック・ラヴの枠組みで考えられているような、「精神」的なものへの志向であったかどうかははなはだ疑問である。近松のそれはいわゆる肉体的欲望の充足に対して、何らの懐疑も示さないような価値観であったように見える。だとすれば、お夏と清十郎が「肉情」から「立派な愛情」にうつり、ついには「神聖な恋愛」を極めたという見方は、透谷が望んだ男女関係のモデルを無理矢理、押しつけているだけなのではないか。近松の恋人たちが、「恋愛」という概念で喚起されるようなモラリズムや理想主義をもっていたかどうかも疑問である。彼らは善人であるから愛し合っているのではない。
 実際、そのことに気づいた透谷は、いったん江戸の「恋愛」として見いだしたはずの近松を、自らの「恋愛」という規範に照らして、再びそれに適合せざるものという判断を下さざるを得なくなる。先に引用した論文で透谷は、他のものは言うに及ばないが、この『歌念仏』でさえ結末で恋人たちが全てを夢と観じて自らの行為を否定してしまうのは仏教的であり、「神聖な恋愛」の理想に殉じたものとは言えないとして、結局、近松の作品でも「真の」恋愛は少ないと嘆いている。そして、そのことの究極的な理由は、近松が透谷のもっとも問題視する遊廓の理念、「粋」という「変体の仏」を崇拝する原理に、最終的には依拠していたからに他ならない。
 透谷が『歌念仏』を近松の作品のなかでも「恋愛」の理想に近いものとするのは、この浄瑠璃では遊女ではなく、地女、すなわち「普通」の女の恋が取り上げられているからである。しかし、もちろん、近松はこの理由で、自分がここでほかの作品とは違った真実の愛を描きえたなどとは、決して考えなかった。それどころか、そのような指摘に含意されている問題意識、つまり、遊女は単に肉欲の対象であって、「真正」の恋がそこに見いだされるべきではないという考えを理解すらしなかったであろう。江戸の恋の基本は遊郭にあるのだ。このことは近松が、そして、近松を歓迎した観客・読者が「好色」という性のイデオロギーのなかに生きている以上、当然のことなのである。透谷は別の原理に依拠して、近松の「恋愛」を分析・分類している。透谷は自分の恋愛観に応じて近松を読み替えているだけなのである。
 すなわち、透谷はこのとき、西洋のロマンティック・ラヴの思想を受容することによって、近松の読み方を変えたのである。それに応じてテキストも意味を変えた。そして、読み方を変えるとき、実は対象も変化する。ブルワー=リットンの「恋愛小説」が「花柳譚」と読み替えられた例は先に挙げた。「好色」のイデオロギーから読まれるとき、「恋愛」は色里の出来事にしかならないからである。内田魯庵は明治二十五〜二十六年に出版した『罪と罰』の翻訳で、『ロミオとジュリエット』の「ロミオ」を注して「沙翁[シェークスピア]が[戯]曲中の艶冶郎(えんやろう)にて日本にて云へば丹次郎の如し」と書いた。「恋愛」という概念がまだ完全に成立していないところでは、そして、「好色」という読みの規範がまだ機能しているところでは、(恋)愛の化身であるはずのロミオも、無責任で不誠実、浮気で好色な遊び人、『春色梅暦』の丹次郎以上の存在にはなりえない。
 もちろん、こうした読み替えを単なる誤読に還元することはできる。ブルワー=リットンの原作『アーネスト・マルトラヴァース』は確かに色里の物語ではないし、その意味では『花柳春話』の訳者は今日の目から見ればいささか滑稽な誤解をしている。同様にロミオも「艶冶郎」という言葉が喚起するような、寄生的で身勝手な色男からは遠い存在に思える。その限りにおいて、ロミオは魯庵にのみ、「色男」と見えているだけである。だが、こうした理解が的外れに感じられるとしたら、近松が「恋愛」を表現している、あるいは、していない、という批評も同じ程度に的外れに感じられていいはずなのである。
 それにもかかわらず、ロミオを遊び人ととらえる視点が噴飯ものに感じられるのに対して、近松に「真実の情熱恋愛」が断片的にでも表現されているという透谷の批評を滑稽なものと感じる人は少ない。「誤読」として認知されるのは、「恋愛」とそれを体現する事象に対する誤解だけであり、「色」に対する誤解はそのように見られない。これは、単に今日のわれわれが「恋愛」という性のパラダイムに依拠しており、その意味で透谷に近いところに立っているからに他ならないだろう。われわれは「恋愛」を正常なもの、「好色」を異常なものとして読む規範を学習してしまった。われわれは「誠実な愛」、「情熱的な愛」、「精神的なものへと飛翔しうる愛」というものをより普遍的なもの、愛の真実により近いものと考える習慣を身につけてしまったのである。したがって、その規範が差し替えられるときには、注意が喚起される。だが、その規範を他に押しつけることには痛みを感じない。
 だとすれば、誤読とは、究極的には、自分とは異なる読みのあり方に対してわれわれが与える名前だと言っていいだろう。他者のパラダイムは常に滑稽であり、つねに「誤まり」である。逆に自分の読みの規範は、「正しい」自分の世界を作り上げ、それはあらゆるところで通用する。
 このことはテキストの読みだけの問題ではない。われわれは現実世界を、それを読むことによって構成している。たとえば、われわれのまわりのだれかが「ドン・ファン」であるとすれば、それは彼が「ドン・ファン」として(まわりの人間に、あるいは本人によって)読み解かれたのである。そのことと、テキストのレベルにおいて、たとえば、『ノルウェイの森』を読んで、永沢君が「ドン・ファン」だという感想を持つことは、行為として何ら差がない。宋代の「ポルノ」小説『金瓶梅』の英訳の一つには、「中国のドン・ファン」という副題がつけられているが、これもそのようなテキスト読解のあり方に過ぎない。だが、この種の読解が可能になったときこそ、中国社会に「ドン・ファン」が出現したときであり、別な言い方をすれば、ある人間がそこで「ドン・ファン」として読まれるようになったときである。
 われわれにとって性愛の行為、現象、そして実体とは、このように読み方の規範そのものに他ならない。われわれのまわりに「ドン・ファン」が存在するとしたら、それはわれわれが「ドン・ファン」という意味作用を成立させるコードの体系を受け入れたということである。「ドン・ファン」は実体としてコード以前に存在するのではなく、読みのルールとしてある文化、ある社会に析出する。
 このルールの受け入れは、しかしながら、しばしば非常に恣意的なものである。厳密に歴史主義的な立場から言えば、『金瓶梅』の主人公西門慶を「ドン・ファン」と読むことは問題をはらんでいる。ドン・ファンは家族・婚姻制度や宗教的秩序に対する反逆者という側面を備えているが、西門慶からそのような意図を窺うことはもちろんできない。さらに、ドン・ファンは誠実かつ熱情的なロミオ型恋人の反措定として存在しているのだが、西門慶型「ドン・ファン」はそのような枠組みのなかでの人物ではない。西門慶を「ドン・ファン」として定位させるとき、その読みは「元来」の読みと大幅にずれてしまっている。
 記号解読(デコード)が記号化(エンコード)と同じ手続きで行なわれるとき、その解読は幸福なものとなる。これはちょうどパソコン通信で、発信元と同じプロトコル(通信条件)を設定しなければ正しいコミュニケーションが行なわれないのと似ている。間違ったプロトコルを用いるとき、通信は成立しなかったり、情報は歪められたりする。パソコン通信で文字化けが起こるのと似て、ロミオが遊冶郎(ゆうやろう)に読み替えられたり、西門慶がドン・ファンになったりする。だが、パソコンによるコミュニケーションの場合と違って、われわれの日常生活では「歪んだ」情報は必ずしも役に立たない情報ではない。浮気で無責任な遊び人を私が「ロミオ」と認知することは、読み手の私にとって、何の困ったことを引き起こしもしない。わたしの性愛の世界がそのように構成されているというだけの話なのである。
 このように考えるならば、われわれの性愛の世界は、記号を読み解くための条件、すなわち、まさにプロトコルそのものだと言える。ここでの「プロトコル」はパソコン用語のそれが含意されていると同時に、デリダが『ポジションズ』で、テキストが読み替えられていくときの一定の条件として語った概念が念頭に置かれている。デリダはそのような条件としてまだ満足のいくものが提示されていないと嘆き、スコールズはそれを『読みのプロトコル』で書こうと試みた。
 ある意味では、本書もそのような試みである。それは、日本人の性愛を読み解かせ、また、構成させるプロトコルの数々を江戸末期から現代に至るまで明らかにしようとしたものである。そこでの興味の関心はプロトコルの変化であり、それに伴う性愛世界の変化である。おおまかに、そして具体的に言えば、「好き」から「愛する」への変化、「好色」からロマンティック・ラヴへの変化である。われわれ現代日本人は感情的な文脈では「好きだ」、客観的・論理的文脈では「愛する」を用いてコミュニケートするように条件付けられている。これは「愛」という一つの実体を、別な手段を用いて表現しているのではない。異種の通信条件を用いることによって、われわれは別の性愛のパラダイムに依拠し、別のテキストを作りだし、その結果、別の性愛の世界を生きるのである。
 しかし、「プロトコル」の語をあえて使うのは、さらに別な含みがある。以下の各章で、読みの約束としての近代日本文化の性愛世界の歴史をたどっていくことになるが、われわれ日本人がそのために用いるデコーダーは、衛星放送受信機と同じく、無償で提供されはしない。コードの読解は単に読みのシステムの共有によって保証されるのではない。読解の仕方は常にある種の圧力を持って強制されるのである。「プロトコル」とは通信条件とも、「規範」とも訳される。
 男性が「愛する」を使うのに対して女性は「恋する」という記号を用いたこと、女性は「死んでもいいわ」とは言えても「愛している」とは言えなかったこと、「ドン・ファン」は精神的なものを前提とした上で肉体的原理を体現するような存在であること、そして、彼はロミオの反措定である限りにおいて異性愛的(ヘテロセクシャル)な存在であること、これらはすべてコードが正しく読解されるための通信条件であり、その条件の欠如は通信を不可能にしてしまうか、そうでなくても逸脱として是正される。「ドン・ファン」という記号を読み解くことができるということは、精神的「恋愛」と肉欲という二元論的な性愛イデオロギーを受け入れる、あるいは受け入れさせられるということである。「愛」と「恋」の使い分けを学ぶということは、そこに含意されているジェンダー・ヒエラルキーを強要されるということである。「(女色と男色の)両道」の達人であるはずの「色男」を、女性の征服者としての「ドン・ファン」に読み替えることは、ホモセクシャリティーの排除に参画することである。「プロトコル」とは単なる約束事ではなく、「典範(コード)」なのだから。
 このように読みの約束はわれわれの性愛の世界を構成するだけでなく、ある種のイデオロギーを維持するための装置として働くのである。読みを成り立たせる「プロトコル」は規範として、近代日本の歴史においてそのような政治的な役割を担ってきた――女性を男性に性的、あるいは精神的に従属させるため、同性愛を精神病理の範疇に押し込めるため、日本的なるもの、アジア的なるもの、前近代的なるものを、劣等なるもの、肉体的なもの、猥褻なるものと同定するために……
 読みの約束の変化の歴史は、複数のプロトコルが支配的イデオロギーの具現として、覇権を目指す歴史である。その覇権は、さまざまな利害に関係した確執の場となる。しかし、プロトコルの交替自体は、そのような確執を不思議に滑稽なものに見えさせるほど、恣意的で必然性のないものなのかも知れない。われわれが複数の漢字コード表のうちからただ一つを選ぶのは、通信条件を整備するためだけであって、それらのシステムの間の差はほとんど意味がない――それらの規格を後押しする集団の利害に比べれば。ちょうどそれと同じように、われわれは性のプロトコルをその内容からくる必然性に応じてではなく、歴史的・政治的な諸条件の調停作業のなかで選択しているのではないか。
 以下に続く本書の各章は、そのことを確認するための道程である。