大阪大学・堀江新二研究室のホームページです。演劇や翻訳、ゼミなどの紹介をしています。

 

ちょっと自己紹介

 

まれは、東京は中野区鷺宮3丁目で。

 

鷺宮の駅から北へ100メートルも行くと、ヤッコの家というか「すずき蕎麦屋」がある…
<えっ、知らない?>

その先を右へ入る小さな路地があって、その突き当たり、もうすぐ横が母校鷺宮小学校の校庭。

 

1948年3月1日生まれの「団塊」の世代。

 

昔、日本語ぺらぺらのロシア人から「はあ、ホーリエさん、あなたは<だんこん>の世代ですね」って

言われ、しばし呆然。

やがて、それが「団魂」と分かって一安心(なにが一安心なんや!)

おいおい、「」と「」を読み間違えんなよ…。

 

でも「団魂(だんこん)の世代」って結構いい表現だと思いませんか?魂の固まり……なんて…。

 

 

稲田大学大学院文学研究科ロシア文学科卒
(学生時代は…そのあとも恩師である故野崎韻夫先生にはご迷惑のかけっぱなし)。

先生が80歳になられたころやっと、まともにお話できた感じ。ぼくも80歳のころに、

少しは先生に近づきたい。でも、先生と世界的バレリーナ・プリセーツカヤと3人で何度か

帝国ホテルでお食事したのが、夢のように思い出されます。

 

それから1975−6年 モスクワ大学へ留学(1年)

APN(ノーヴォスチ通信社)東京支局勤務(3年) 

モスクワ・ラードガ出版社勤務(1982−1988年の6年間) 

大映(株)勤務「おろしあ国酔夢譚」製作コーディネータ(3年間)
(ラードガ出版社と合わせて結局ほとんど9年近くロシア暮らしでした)

天理大学勤務(6年)

大阪外国語大学勤務(10年)

大阪大学言語文化研究科・外国語学部勤務(1年目)現在に至る

 

(全部足しても、歳があわない? いえ、「ふらふら」していた年をいれてませんから)

      門はロシア演劇。その中でも「俳優の演技論」、スタニスラフスキー、

 

        ミハイル・チェーホフなどの演技論を通じて、「心のコントロール」という問題

               を、実際のロシアの俳優教育の体験を通して、深めていく。

      

        要するに、「拓也は演技がうまいが、慎吾は下手だなあ」ってことがなぜ

                生まれるのか、それの研究です。なんてことない?

 

        そこから、「心を無にする」という問題を「立ち禅(立ってする禅)」と言われる

             弓道にからめて、研究したいのです。(下の、趣味の項を参照)

 

   要業績  (翻訳以外の著書・論文など)   ・・・・→  ここです

        翻訳は、翻訳のページに

 

   場招へい活動。大学における研究・教育活動以外に、次のような文化交流活動を、

やってきました。

 

1989年8−9月

レニングラード・マールイドラマ劇場の招へい。『兄弟姉妹』、『夜明けの星たち』、『蝿の王』(朝日新聞とセゾングループの協力を得て)銀座セゾン劇場

1990年5−6月

モスクワ・ユーゴザーパド劇場の招聘『ハムレット』(朝日新聞社・パルコ・阿部事務所)渋谷パルコ劇場

1993−1996年

ユーゴザーパド劇場と劇団東演の合作『ロミオとジュリエット』の制作協力

全国の演劇鑑賞会の主催で、北海道以外の全国を回る。

2000年9−10月

ユーゴザーパド劇場日本公演の招聘『どん底』、『ロミオとジュリエット』、『検察官』(朝日新聞社と阿部事務所、アートスフィアの協力による)品川アートスフィア

2001年10月

モスクワ・ポクロフカ劇場日本公演の招聘『結婚』、『三人姉妹』、『検察官』(同上の協力で)品川アートスフィア

同年

モスクワ・エトセトラ劇場の日本招聘『人物たち』’チェーホフの短編より)(阿部事務所・シアターX協力)両国シアターX

2003年6月

再びユーゴザーパド劇場日本公演の招聘『かもめ』、『夏の夜の夢』、『巨匠とマルガリータ』(朝日新聞社、アートスフィア、阿部事務所)品川アートスフィア、尼崎ピッコロシアター

2004年10月 モスクワ・マールイ劇場招聘『かもめ』、『三人姉妹』(朝日新聞社、アートスフィア、阿部事務所)品川アートスフィア
2006年3月 ユーゴザーパド劇場『マクベス』、『巨匠とマルガリータ』(朝日新聞社、阿部事務所)アートスフィア最後の公演。

 

 

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以下は、より「私的」情報につき、関心のない方は、これ以下には進まないこと…

 

 

味は「弓道」でした。 二段ですが…。ぜんぜん練習時間がなくて…

いまは休止状態。ただ、「立ち禅」と言われる弓道の心のコントロールは

俳優教育と密接な関係にあるのです。

 

「ロシアの演技術⇔ミハイル・チェーホフ⇔無意識⇔ユング⇔禅⇔弓道」が

キーワード

*『無我と無私』(日本の弓道)オイゲン・ヘリゲル著(ランダムハウス講談社)、参照

*см. Дзэн в искусстве стрельбы из лука(Ойген Херригель)

 

 

を亡くしました。92歳の大往生でした。2009年4月11日。

      僕が研究という形であれ、演劇に関心を持って、ロシア演劇の

         道に入ったのは、この母あったればこそだと思っています。

        女優だった母は、いつも僕にはまぶしく、そして美しい人でした。

       あまり芝居の写真が残っていないので、今探しているところです。

        小さなポートレートがあったので、それをここに張り付けて、母の

思い出をここにも少しだけ残すことにします。

       お袋さん、僕を産んでくれてありがとう。そして心配をたくさんかけ

たこと、ごめんなさい。安らかに眠ってください。

堀江紀子(林さち子)(NHKBK放送劇団、新協劇団、劇団葦、劇団俳優小劇場に所属)

 

 

 

 

族は僕と猫以外すべて女性(多分)でした。それでマイノリティの研究が進む。

 

「ちょっと、ちょっと聞いてよ」。いつも、こうやって僕に話しかけるタマでした。
(タマーラと名をつけたらオスだった、でタマ

最近ロシア語より猫語のほうが、よく話せるようになっている自分が怖い。

タマちゃんは残念ながら、2005年5月17日16年の天寿をまっとうし、亡くなりました。(悲しい!

Пусть земля  будет ему пухом! 

うちの子守猫でした
(若き日のタマ、ちょっと顔つけすぎ)

 

 

 

 

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