ロシア演劇の世界皆さん、ようこそ、ロシア演劇の世界へ、
ソヴィエトから現代ロシアまで約40年間芝居を見続けてきました。そこで、この40年の間で観たす べてのロシア・ソヴィエト演劇の中でベストの10作品を選ぶとしたら、と考えてみたのです。とても 10作品では無理なのですが、あえて、あえて、選ぶとしたら… という具合で、極めて恣意的な自分の好みで以下の10作品をベスト10に選びました。でも、ど うしても上げたい作品がプラスアルファ、であと3つ上がっています。…… ん、じゃ、ベスト10の意味ないか…?
ともあれ、ロシア・ソヴィエト演劇ベスト10!!!
(写真にふってある数字は順位を表すものではありません。)
@ 『セチュアンの善人』(タガンカ劇場1964年) Добрый человек из Сезцуана 1964年シューキン演劇大学でリュビーモフ教授が4年間指導してきた 学生たちが卒業公演を行った。作品はブレヒトの『セチュアンの善人』。 それは学生演劇にもかかわらず、圧倒的な好評を得て、彼らは 師のリュビーモフと一緒に場末の劇場、タガンカ劇場にこぞって入り込んだ。 それが60年代に世界をアッと言わせる劇場への第一歩だった。 (念願かなってこの芝居をロシアで観たのは1976年,初めて留学で モスクワへ行った時。芝居が終わるまで「鳥肌がたった」ままだったこと をよく覚えている。)
A 『ハムレット』(タガンカ劇場1971年) Гамлет ハムレットを演じたのが、プーシキン以来最大のロシア詩人とも歌手とも言われた ヴィソーツキー。彼の自作の詩と歌は、ほとんどが「検閲」にかかって禁止され、若 者は当時出回りだしたテープレコーダで、闇のテープをひそかに回して誰もが聞いていた。 (やはり留学中に『ハムレット』を観た。冒頭ヴィソーツキーがギターを弾きながら 歌うパステルナークの『ドクトル・ジバゴ』の中の詩は、当時印刷も出版も許されてい なかったにもかかわらず、だれもが知っていた。当然のことながら、当局がこの芝居 の上演を許可するまで、俳優たちは数年もくもくと稽古だけを続けてきた)
B 『桜の園』(エフロス演出・タガンカ劇場1975年) Вишневый сад リュビーモフが、当時彼と人気・実力を二分していたエフロスをタガンカに招いて演出 してもらった作品。白一色の舞台で、装置は写真に見える小高い隆起=お墓だけ。 左右の舞台袖の上から垂れさがる白いレースのカーテンが常にゆっくりと 揺れる中、人間関係の危うさ、移ろいやすさ、虚しさが胸を打つ。 (ラネーフスカヤ夫人を演じるのがアラ・デミードワで、当時40歳くらい。 日本では、たいてい60才以上の女優さんが演じているので、僕には意外だったが、 彼女がフランスの男のことが忘れられず、まだ恋に落ちていることが初めて 納得できた。ロパーヒンはヴィソーツキー)
C 『巨匠とマルガリータ』(タガンカ劇場1976年) Мастер и Маргарита ミハイル・ブルガーコフの長編小説の舞台化。この小説自体30年近く公表禁止 となり、1968年に出版されても、ほとんどロシア人の目にはつかなかった。むしろ 海外で出版されたロシア語版ば逆輸入で、こっそりとソ連へ持ち込まれていた。 (1930年代のソ連社会に、突然悪魔の一味が舞い降りる。いったい何のために? この芝居も、当局は稽古だけしか許可されず、俳優たちはひたすら稽古だけに 励んでいた。1976年ブレジネフ書記長が、個人的に「許可」して やっと上演されたという。「原稿はもえないものだ!」と言って、マントの下から 検閲にかかり、燃やされてしまったはずの原稿が出てくる場面は、まさに 息をのむといった、言葉にならない感動をモスクワっ子に与えた。)
D 『どんな賢者にも抜かりはある』 (レニングラード・ボリショイ・ドラマ劇場1983年) На всякого мудреца довольно простоты ボリショイ・ドラマ劇場は、演出家トフストノゴフ率いる当時、ソ連で もっとも「完成度の高い芝居」を作り出す劇場と言われた。 ともかく、この写真の左(レーベヂェフ)右(イフチェンコ)といった 名優が、信じられないくらいの名演技で、客の心をとらえた。 (ただ、もう名優が舞台に出てくるだけで、言葉がなくても「おかし」かったり、 「怖かったり」、「悲しかったり」…。「虚実皮膜の内」=演技はしょせん 嘘なのだけど、そこに真実味がる、虚と実の差が、皮膜一枚くらい 虚なのに真実、真実なのに虚=そんな演技の真髄をこの 劇場は見せてくれました)
E 『兄弟姉妹』(レニングラード・マールイ・ドラマ劇場MDT1985年) Братья и сестры 戦後のロシア演劇名作の筆頭にあげてもよい衝撃の作品。1898年スタニスラフスキーの モスクワ芸術座の出現、1964年リュビーモフのタガンカ劇場の出現、 そして1985年ドーヂン率いるMDTの出現。これが20世紀ロシア演劇最大の3つの 衝撃ではないでしょうか? (僕が、ロシア演劇の日本招へいに関わった最初の芝居です。銀座セゾン での公演でした。後で聞いたのですが、このとき大阪外大からは バスをチャーターして、大変な数の学生がこの芝居を東京まで 観に来たそうです。そんな時代もあったのですねえ)
F 『ハムレット』(ユーゴザーパド劇場1987年) Гамлет ユーゴザーパド劇場の出現は、僕個人にとっては上記 3大衝撃に次ぐものでした。とくにアヴィーロフ(右)の ハムレットは、これまでにない「闇と光」のハムレットとして、 本場イギリスで高く評価され、世界にアピールしました。 (日本に招へいした二つ目の劇場がこのユーゴザーパド劇場でし た(渋谷のパルコで)。この芝居、英米演劇の関係者にも大変ショ ックだったようで、20年たっても「英語青年」なんて雑誌にシェイ クスピア特集で、この作品が強烈な印象として取り上げられています)
G『罪なき罪びと』(ワフタンゴフ劇場1993年) Без вина виноваты 僕にとって20世紀最後の衝撃は、大評論家スメリャンスキーが 「ここ15年忘れられていた感動が戻ってきた」と評した このフォメンコ演出の芝居でした。 (僕も15年ほど忘れていた感動が、蘇りました。フォメンコさんの 衝撃的デヴューでした。ソ連時代に「お上」から与えられた つまらない演出家の下で不満をため込んでいた名優たちが ソ連崩壊で、その演出家を「追放」し、フォメンコさんを招いて、 一気にこの作品で生き返った感じでした。やはり演劇は「生き物」 なんですよ。旬というか、一回性というか、その時、その場でしか 味わえない感動っていうのがあるのです。だから研究が難しい)
H 『夏の夜の夢』(ユーゴザーパド劇場1995年) Сон в летнюю ночь お芝居の楽しさを、そしてその祝祭性をこれほど感じさせてくれる芝居は、そうはないでしょう。 特に「職人たち」の抱腹絶倒のシーンには、客席の老若男女みな文字通り腹抱えて 笑っている。日本公演でも、その場面で俳優が日本語を使って、大受けしていましたね。 (ユーゴザーパド劇場の作品は、どれも僕にとっては、「マイお芝居」で 僕が作っているのか、ベリャコーヴィチが作っているのか時々分らなくなる。 20代に池袋で芝居をやっていた時、こんな芝居を作っていた気がするの です《気持ちだけは》。でも、残念ですが、ここ10数年、日本公演を 何度もしたこの劇場は、というよりロシア演劇は当分、日本に招へい できそうにありません)
I 『三人姉妹』(マールイ劇場2004年) Три сестры 芝居にはいろいろな楽しみ方があるでしょう。何が本当の芝居か、なんて問いは ないのです。このマールイ劇場のチェーホフ劇は、しっとりとした最良の日本の新派を 観ているような感じを持たせてくれ、よく亡くなった恩師野崎先生が「モスクワ芸術座の 初めのころは、本当によき新派の芝居のようだった」とおっしゃったことを思い出します。 この芝居ほど、4幕のうちに、四季を、匂いまでも感じさせてくれる芝居はないように思います。 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 以下、番外! でも、僕には大事な作品です。番外のプラスアルファにしました(ベスト10に入れてもいいのですが、 前の中から何か抜くわけにもいかず…) 左から、マールイ・ドラマ劇場『夜明けの星たち』 真ん中ポクロフカ劇場『結婚』 右側スタニスラフスキーの家のそば劇場『三人姉妹』
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 僕の個人的なベスト10では、非常に偏ったロシア演劇の紹介になるので、ここに、 僕の友人で、ロシア演劇の研究者である岩田貴さん(『街頭のスペクタクル』 <未来社>というロシア演劇に関する名著をお書きになっている)の「個人的」 ベスト10も(ご本人の了解を得たので)上げておきます。
岩田貴さんのロシア演劇ベスト10(と岩田さんのコメント) (以下順番は年代順であり、評価の順位ではありません)
1 『三人姉妹』(リュビーモフ演出[実際は、ユーリイ・ポグレブニチコの演出といったほ うがよいかもしれませんが]タガンカ劇場、1981年初演)
2 『亡命者たち』(モケーエフ演出、演劇スタジオ「チェロヴェーク」、1983年初演) ─名優スモクトゥノフスキイを継ぐ才能といわれるアレクサンドル・フェクリストフと ロマン・コーザクの二人芝居。ロシアの俳優の魅力を堪能できる芝居でした。
3 『ボリス・ゴドゥノフ』(リュビーモフ演出、タガンカ劇場、1982(88)年初演)
4 『犬の心臓』(ヤノフスカヤ演出,モスクワ青少年劇場、1987年初演) ──演劇のペレストロイカの幕開けを告げる芝居の一つなので、やはり挙げて おきました。芝居としても面白かったですし。
5 『幕間なしのイタリアン・ベルモット(チンザノ)』(ロマン・コーザク演出、演劇スタジオ 「チェロヴェーク」、1987年初演) ──ロシア版不条理劇。登場人物たちはさまざまな問題を抱えているのですが、 その歪んだ日常から抜け出せず、酒に溺れることにしか慰めを見出せません。 いかにもロシア的状況です。この暗い世界を軽やかな笑いにあふれたエンター テイメントとして舞台化し、その笑いのなかから人間の生の深遠を覗き見させる 演出はたいしたものでした。
6 『女中たち』(ジュネ作、ロマン・ヴィクチュク演出、サチリコン劇場、1988年初演) ──ヴィクチュクの最高傑作だと思います。入れ子細工のような多重構造の芝 居のなかで、俳優は役の人物であるとともに(その役の人物自体が虚構の 生を演じる)、その役を演じる同性愛者を演じる俳優であるという重層的な存 在として立ち現われます。ヴィクチュクのこの舞台には、演技する俳優によっ てなされる演劇創造という虚構の実体が徹底して表わされます。ソ連時代にも、 芝居の仕掛けを露呈することはリュビーモフなどもやっていますが、ここまで徹 底した舞台はロシアでは初めて観ました。
7 『三人姉妹』(ユーリイ・ポグレブニチコ演出、クラスナヤ・プレスニャ青年演劇スタジオ [スタニスラフスキイの家のそばの劇場]、1990年初演)
8 『罪なき罪人』(フォメンコ演出、ワフタンゴフ劇場、1993年初演)
9 『《罪》よりK・I』(ダニー・ギンク作[ギンカスの息子]、ギンカス演出、モスクワ青少年劇場、1995年初演) ──『罪と罰』の登場人物、カテリーナ・イワーノヴナの物語を、彼女の一人芝居に した作品です(ただし、ソーニャを除いた3人の子供たちが登場し、上の娘には若干 の台詞があります)。芝居はリハーサル室とその前のロビー(劇場三階のロビー)で 演じられます。観客を劇中の人物とみなし(狂気に陥って子供たちを連れてペテルブ ルグの街に物乞いに出るカテリーナを取りまく野次馬、さらにはマルメラードフの追 善供養の出席者に見立てられる)、劇のなかに引き込んでゆく演出はみごとでした。
10 『五夜』(ボロジン作、ジェノヴァチ演出、マーラヤ・ブロンナヤ劇場、1997年初演) ──斬新な舞台空間づくり(2枚の扉を組み合わせたボックスが5つ縦に並んで いて、それらが横にスライドして多様な演技空間を作り出す)と、人間の心 の微 妙な揺れ動きや、心の襞の奥底を描き出す俳優の演技──ジェノヴァチの 演出の特徴がみごとに発揮された芝居でした。
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