渡邉研究室

渡邉克昭

指導教官:
渡邉 克昭
(わたなべ かつあき)

略歴

大阪外国語大学外国語学部英語学科卒業、大阪大学大学院文学研究科英文学専攻博士後期課程単位取得退学
大阪大学言語文化部助手、同専任講師、プリンストン大学英文科客員研究員(日米友好基金助成)、大阪外国語大学外国語学部助教授、同教授を経て、現在、大阪大学大学院言語文化研究科言語社会専攻、アメリカ・ヨーロッパI講座教授(英語学科目代表、講座代表)

専門分野

アメリカ文学・文化(ポストモダン・アメリカ文学・文化研究、文学・文化批評理論、アメリカ映像文化表象論)

研究テーマ

  • 21世紀英語文学におけるポストヒューマニズムの思想史的展開―物質としての生命
  • アメリカ的想像力と<死>のアポリア
  • ドン・デリーロ、リチャード・パワーズ、マーガレット・アトウッド研究

学位

博士(言語文化学、大阪大学)

受賞

第2回日本アメリカ文学会賞(日本アメリカ文学会、2017年)

所属学会、学会活動

  • 日本アメリカ文学会:代議員、編集委員、(編集委員:2010年~2014年)
  • 日本アメリカ文学会関西支部:評議員、(支部長:2013年~2016年)
  • 日本英文学会:(編集委員:2010年~2014年)
  • 日本英文学会関西支部:評議員
  • 日本ソール・ベロー協会:理事
  • 大阪大学言語社会学会:理事、編集委員
  • アメリカ学会:(評議員・年次大会プログラム委員:2009年~2010年)
  • アメリカ演劇学
  • 日本ヘミングウェイ協会
  • 日本ウィリアム・フォークナー協会
  • 日本マーク・トウェイン協会
  • 阪大英文学会

科研基盤研究(C)による研究

  • 「21世紀英語文学におけるポストヒューマニズムの思想史的展開―物質としての生命」(研究代表者、2018年~現在)
  • 「アメリカ文学におけるヒューマン・エンハンスメントの進化と「幸福の追求」の未来学」(研究代表者、2014年~2017年)
  • 「 20世紀アメリカ文学における進歩のデザインと破局の表象に関する文化史的研究」(研究代表者、2010年~2013年)
  • 「アメリカ文学における銃の表象とアメリカの神話の関係に関する研究」(研究代表者、2005年~2008年)
  • 「現代アメリカ文学における「アメリカン・サブライム」の表象とアウラの発現に関する研究」(研究代表者、2001年~2004年)
  • 「現代アメリカ文学におけるメディアと死の関係」(研究代表者、1997年~1999年)
  • 「アメリカ文学と写真/ドキュメンタリーとのインタラクティヴな関係に関する学際的研究」(研究分担者、2009年~2012年)
  • 「現代アメリカ文学における身体意識の変容とメディアとの関係」(研究分担者、2004年~2007年)

著書(単著)

『楽園に死す―アメリカ的想像力と<死>のアポリア』(大阪大学出版会、2016年)、pp. 1-546.

著書(共著)

  • 『揺れ動く<保守>―現代アメリカ文学と社会』(共著、春風社、2018年)、「囁き続ける水滴—ドン・デリーロの『ゼロK』における「生命の保守」」、pp. 275-307.
  • 『アメリカ文学における幸福の追求とその行方』(共著、金星堂、2018年)、「「幸福」のこちら側―リチャード・パワーズ の 『幸福の遺伝子』に見る横溢と復元力」、pp. 352-370.
  • 『災害の物語学』(共著、世界思想社、2014年)、「噴火・蒐集・生成―『火山の恋人』における歴史の創造/想像ポイエーシス」、pp. 74-101.
  • 『アメリカン・ロード―光と陰のネットワーク』(共著、英宝社、2013年)、「シネマの旅路の果て―ドン・デリーロの「もの食わぬ人」における「時間イメージ」」、pp. 201-224. 
  • 『異相の時空間―アメリカ文学とユートピア』(共著、英宝社、2011年)、「時の砂漠―惑星思考の『ポイント・オメガ』」、pp. 310-333.
  • 『二○世紀アメリカ文学のポリティクス』(共著、世界思想社、2010年)、「ホブズタウンより愛をこめて―『囚人のジレンマ』からフェアリー・ダスト・メモリーへ」、pp. 215-247.
  • 『アメリカ文学研究のニュー・フロンティア―資料・批評・歴史』(共著、南雲堂、2009年)、「敗北の「鬼イット」を抱きしめて―『アンダーワールド』における名づけのアポリア」、pp. 281-298. pp. 351-354.
  • 『メディアと文学が表象するアメリカ』(共著、英宝社、2009年)、「9.11と「灰」のエクリチュール―『フォーリングマン』における“nots”の亡霊」、pp. 166-192.
  • 『神話のスパイラル―アメリカ文学と銃』(共著、英宝社、2007年)、「蘇る標的―デリーロ文学の弾道」、pp. 185-242.
  • 『二〇世紀アメリカ文学を学ぶ人のために』(共編著、世界思想社、2006年)、「ポストモダン文学への誘い―『黒い時計の旅』をめぐって」、pp. 68-82.
  • 『病と身体の英米文学』(共著、英宝社、2004年)、「「崇高」という病―「享楽」の『コスモポリス』横断」、pp. 86-108.(抜粋を『英語青年』2004年6月号、第150巻第3号、研究社、pp. 156-159に掲載)
  • 『ポストコロニアル文学の現在』(共著、晃洋書房、2004年)「マーガレット・アトウッドの『侍女の物語』―「植民地」化される女」、「マイケル・オンダッチェの『イギリス人の患者』」pp. 123-134.
  • 『共和国の振り子―アメリカ文学のダイナミズム』(共編著、英宝社、2003年)、「フレームの彼岸から自伝の暗室へ―『舞踏会へ向かう三人の農夫』における死と複製のヴィジョン」、pp. 177-194.
  • 『身体、ジェンダー、エスニシティ―21世紀転換期アメリカ文学における主体』(共著、英宝社、2003年)、「メディア、ジェンダー、パフォーマンス―『ボディ・アーティスト』における時と消滅の技法」、pp. 117-143.
  • 『冷戦とアメリカ文学―21世紀からの再検証』(共著、世界思想社、2001年)、「廃物のアウラと世紀末―封じ込められざる冷戦の『アンダーワールド』」、pp. 329-361.
  • 『EX ORIENTE』第4 号(共著、嵯峨野書院、2001年)「広告の物たちの国で―ドン・デリーロのスペクタクルの日常」、pp. 67-96.
  • 『藤井治彦先生退官記念論文集』(共著、英宝社、2000年)、「「群衆」の時代と小説家の肖像―Mao IIにおける死とメディアの神話学」、pp. 899-912.
  • 『自己実現とアメリカ文学』(共著、晃洋書房、1998年)、「ノイズから『ホワイト・ノイズへ―死がメディアと交わるところ』、pp. 174-194.
  • 『世界地域学への招待』(共著、嵯峨野書院、1998年)、「テクストとしてのアメリカを読む」―言語社会研究科におけるアメリカ文学研究」、pp. 321-334.
  • 『空間と英米文学』(共著、英宝社、1987年)、「独房、火葬場、天文台―『学生部長の十二月』の構造」、pp. 246-270.

論文

  • 「ポストヒューマン・デザインの地平―ダン・ブラウンの『オリジン』におけるAIと「かぐわしき科学」のゆくえ」、『英米研究』第 42号(大阪大学英米学会、2019年)、pp. 29-57.
  • 特別寄稿論文「9.11と「灰」のエクリチュール―Falling Manにおける“nots”の亡霊」、『関西英文学研究』第2号(日本英文学会関西支部、2008年)、pp. 115-137.
  • “Welcome to the Imploded Future: Don DeLillo’s Mao II Reconsidered in the Light of September 11”、The Japanese Journal of American Studies第14号 (アメリカ学会、2003年)、pp. 69-85.
  • 「ポストモダン・オズワルド、ポストモダン・アウラ―JFK暗殺とドン・ デリーロの『リブラ』」、『英米研究』第23号(大阪外国語大学、1999年)、pp. 163-189.
  • 「大統領と総統とシミュラクラ―デリーロとエリクソンに見る「アメリカ史」」、『世界文学』第2号(大阪外国語大学、1996年)、pp. 363-397.
  • 「<癒し>としての騙り―Seize the Dayにおける「貨幣」、タムキンをめぐって」、『英米研究』第20号(大阪外国語大学、1995年)、pp. 115-137.
  • 「Saul Bellowにおける富と贈与交換―Humboldt’s Giftを中心に」、『アメリカ文学研究』第31号(日本アメリカ文学会、1995年)、pp. 57-71.
  • 「<反>祝祭としての『ビックリハウスの迷い子』―「夜の海の旅」の反復をめぐって」、『英米研究』第19号(大阪外国語大学、1994年)、pp. 187-213.
  • 「ヘルメスの贈り物―ソール・ベロー「銀の皿」試論」、『英語圏世界の総合的研究』(大阪外国語大学、1993年)、pp. 87-101.
  • “Saul Bellow’s More Die of Heartbreak: A Companion Piece to Humboldt’s Gift” 、『英米研究』第18号(大阪外国語大学、1992年)、pp. 101-130.
  • 「メタフィクションとしての『旅路の果て』」、『英米研究』第17号(大阪外国語大学、1990年)、pp. 101-124.
  • 「ソール・ベローにおける老いと弔い―『サムラー氏の惑星』と『フンボルトの贈り物』を中心に」、『英米研究』第16号(大阪外国語大学、1988年)、pp. 105-127.
  • 「マキャベリアンのペイジェント―『オーギー・マーチの冒険』をめぐって」、『関西アメリカ文学』第21号(日本アメリカ文学会関西支部、1984年)、pp. 42-55.
  • “Henderson the Rain King: Bellow’s Festival”、 Osaka Literary Review第22号(1983年)、pp. 103-113.
  • “Hemingway and the Ritual”、 Osaka Literary Review第20号(1981年)、pp. 171-181.

翻訳

  • ドン・デリーロ『マオII』(本の友社、2000年) pp. 1-304.
  • ドン・デリーロ「アメリカ人であることの不思議さ、ドン・デリーロへのインタヴュー」、『世界文学』第5号(大阪外国語大学、2000年)、pp. 359-386.
  • エモリー・エリオット編『コロンビア米文学史』(共訳、山口書店、1997年)、pp. 65-76.
  • ソール・ベロー「銀の皿」、『世界文学』第1号(大阪外国語大学、1995年)、pp. 237-299.
  • ウェイン・ブース『フィクションの修辞学』(共訳、書肆風の薔薇、1991年)、pp. 337-484. pp. 515-531.

事典

  • 『アメリカ文化事典』(共著、アメリカ学会編、丸善出版、2018年)、pp. 548-549.
  • 『ヘミングウェイ大事典』(共著、勉誠出版、2012年)、p. 765、pp. 767-769、pp. 773-774.

書評

  • 諏訪部浩一著『アメリカ小説を探して』、『アメリカ文学研究』第55号(日本アメリカ文学会、2019年)、p. 113.
  • 下河辺美知子編著『グローバリゼーションと惑星的想像力—恐怖と癒しの修辞学』、『アメリカ文学研究』第53号(日本アメリカ文学会、2017年)、pp. 62-68.
  • 三浦玲一編著『文学研究のマニフェスト―ポスト理論・歴史主義の英米文学批評入門』、『アメリカ文学研究』第50号(日本アメリカ文学会、2013年)、pp. 137-138.
  • 赤祖父哲二著『アメリカ 三つの顔』、『週刊読書人』(2013年、11月8日)、第7面。
  • 下河辺美知子編著『アメリカン・テロル―内なる敵と恐怖の連鎖』、『英文学研究』第87巻(日本英文学会、2010年)、pp. 77-82.
  • Walter Benn Michaels著The Shape of the Signifier:1967 to the End of History、『英文学研究』第82巻(日本英文学会、2005年)、pp. 209-213.
  • 上岡伸雄著『ヴァーチャル・フィクション―マルチメディア時代のアメリカ文学』、『アメリカ文学研究』第36号(日本アメリカ文学会、2000年)、pp. 131-137.
  • 「記憶のシネマトグラフ―エリクソンの『青の時代』」、『週刊読書人』(1997年、5月30日)、第2面.

学会シンポジウム講師、講演

  • 特別講演「呼び交わす巨匠たち―ベロー、ヘミングウェイ、デリーロにおける〈死〉のアポリア」、日本ソール・ベロー協会第30回大会、(2018年9月5日、専修大学)。
  • 基調講演「デリーロ文学における微粒子―『ポイント・オメガ』から『ゼロ K』へ」、コメンテイター、科学研究費・基盤研究(B)「マニフェスト・デスティニーの情動的効果と 21 世紀惑星的想像力」(2018年2月19日、成蹊大学)。
  • シンポジウム講師「シンポジウム・藤井治彦」阪大英文学会第50回大会 (2017年10月28日、大阪大学)。
  • 特別講演「ドン・デリーロの惑星的想像力の場としての“Convergence”―『ゼロK』における「ポストヒューマン・ボディー」とアース・アート」、エコクリティシズム研究学会第30回大会、(2017年8月5日、サテライトキャンパスひろしま)。
  • 招待講演「破局と生成のアレンジメント―デリーロ文学における微粒子とメディアの亡霊」、京都大学大学院人間・環境学研究科、(2017年7月14日、京都大学)。
  • シンポジウム講師「生命の保守 / 保守の生命—デリーロの新作における永遠のゼロ」、日本アメリカ文学会東京支部シンポジウム「現代アメリカ小説における「保守」の諸相」(2016年12月10日、慶應義塾大学)。
  • 特別講演「ドン・デリーロにおける〈死〉のデザイン―オリエンタルな意匠をめぐって」アジア系アメリカ文学研究会第24回フォーラム、(2016年9月25日、神戸大学)。
  • シンポジウム講師「「幸福」のこちら側―Richard PowersのGenerosityに見るExuberanceとResilience」、日本アメリカ文学会中・四国支部冬季大会シンポジウム「アメリカ文学における幸せの追求」(2014年12月13日、広島県立大学)。
  • シンポジウム講師「噴火・蒐集・生成―The Volcano Loverにおける歴史のポイエーシス」、日本アメリカ文学会関西支部第55回支部大会フォーラム「Natural Disasterとアメリカ的想像力」(2011年12月3日、武庫川女子大学)。
  • シンポジウム講師「『囚人のジレンマ』におけるバイオ・ポリティクスの逆説」、アメリカ学会第44年次大会部会A「逆説のアメリカ―核政策と核意識を中心に」(2010年6月6日、大阪大学)。
  • シンポジウム講師「敗北の「鬼」を抱きしめて―冷戦のトラウマから自己免疫的症候としての9.11」、日本英文学会関西支部第4回大会シンポジウム「<伝・染>と英米文学」(2009年12月20日、同志社大学)。
  • シンポジウム講師「メディアの亡霊―9.11と「灰」のエクリチュール」、日本アメリカ文学会第46回全国大会シンポジウム「共振する/交錯するメディアとアメリカ文学」(2007年10月14日、広島経済大学)。
  • 招待講演「幻想としてのアメリカ―フィクションと文化の交わるところ」(2005年11月12日、福島大学)。
  • シンポジウム講師「蘇る標的―DeLillo文学の弾道」、日本アメリカ文学会第43回全国大会シンポジウム「神話のスパイラル―アメリカ文学と銃」(2004年10月17日、甲南大学)。
  • シンポジウム講師「ドン・デリーロの『アンダーワールド』」、阪大英文学会第37回大会シンポジウム「わたしが選ぶ英米文学のこの1冊」(2004年11月6日、大阪大学)。
  • シンポジウム講師「メディア、ジェンダー、パフォーマンス―The Body Artistにおける時と消滅の技法」、日本アメリカ文学会関西支部第45回大会フォーラム「身体、ジェンダー、エスニシティ―1990年代以降のアメリカ文学に見られる主体の変容」(2001年12月15日、立命館大学) 。
  • シンポジウム講師「廃物のアウラと世紀末―封じ込められざる冷戦のUnderworld」、日本アメリカ文学会第39回全国大会シンポジウム「二つの世紀末―意識と表現」(2000年10月15日、同志社大学)。
  • シンポジウム講師「ドン・デリーロとスティーヴ・エリクソン」、日本アメリカ文学会関西支部第39回大会フォーラム「最近のアメリカ小説を考える」(1995年12月9日、立命館大学)。
  • シンポジウム講師「ソール・ベローにおける老い」、日本英文学会第58回全国大会シンポジウム「老いと文学」(1986年5月18日、関西学院大学)。

研究発表

  • 招待発表「囁き続ける水滴―『ゼロK』における「器官なき身体」」、日本英文学会関西支部第12回大会(2017年12月17日、京都女子大学)。
  • 「時の砂漠―惑星思考の『ポイント・オメガ』」、日本アメリカ文学会関西支部例会(2010年11月6日、京都女子大学)。
  • 「「群衆」の時代と小説家の肖像 ―Mao IIにおける死とメディアの神話学」、日本アメリカ文学会第37回全国大会(1998年10月17日、広島女学院大学)。
  • 「ノイズから『ホワイト・ノイズへ―死がメディアと交わるところ』、阪大英文学会第29回大会(1996年10月26日、大阪大学)。
  • 「Saul Bellowにおける富と贈与交換―Humboldt’s Giftを中心に」、日本アメリカ文学会第32回全国大会(1993年10月9日、弘前大学)。
  • 「「マキャベリアンのペイジェント―『オーギー・マーチの冒険』をめぐって」、日本アメリカ文学会関西支部例会(1984年5月、大阪市大文化交流センター)。

大学教科書編注

  • The Language of Sport (共編著、英宝社、2000年)。
  • Popular Classics of American Literature (共編著、英宝社、1997年)。
  • Masterpieces of Contemporary American Short Stories (共編著、英宝社、1996年)。
  • The Art of Fiction (共編著、英宝社、1996年)。

その他

  • 「Wrong Day’s Journey into Celebrity: Don DeLillo’s Valparaiso」、『英語青年』第150巻11号、2005年、p. 692.
  • 「Unlucky Pierreとセルロイドの詩神たち―Robert Coover のシネシティ探訪」、『英語青年』第150巻9号、2004年、p. 565.
  • 「カオス理論とポストモダン・アメリカ小説」、『英語青年』第150巻7号、2004年、p. 436.
  • 「燐光を放つtrivia」、『英語青年』第150巻5号、2004年、p. 297.
  • 「ブッカー賞とスモールタウン・テキサス」、『英語青年』第150巻3号、2004年、p. 162.
  • 「Paper Palaceの迷い子」、『英語青年』第150巻1号、2004年、p. 46.
  • 「書物からハイパーテクストへ――変容する『文学空間』」『大阪外国語大学学内LAN利用の実際と今後』(大阪外国語大学、1997年)、pp.131-135.
  • 「アーネスト・ヘミングウェイと儀式」(『英語青年』第152巻第12号、2007年)、pp. 19-20.

研究紹介

 アーネスト・ヘミングウェイ、ソール・ベロー研究を経て、 ここ二十年ほどは、ドン・デリーロ、ポール・オースター、リチャード・パワーズ、スティーヴ・エリクソン、マーガレット・アトウッドといった代表的な英語圏ポストモダン作家を中心に、文化表象としてのフィクションが、メディア、テクノロジー、視覚芸術といかなる関係を結び、後期資本主義消費文化をいかに描いてきたのかということに強い関心を抱いてきました。そこで浮上してきたのは、例外的に穢れや老いや死を免れ、未来に向かって直線的に進化するエデン的世界観を今もって払拭しきれない「アメリカ」が隠蔽してきた「死」をめぐる問題系です。消費文化の表面的な豊かさとは裏腹に、「死」のアポリアに彩られた小説を、シネマ、写真、アート、広告、メディア、大統領の言説をはじめ、多様な文化表象と連動させて分析することは、隠蔽されたアメリカ的想像力のありようをフィールド・ワークするに等しく、アメリカ人を突き動かしてきた集団的[無]意識のありようを解明する有効な手段となります。そのような観点から、JFK暗殺や9.11を扱ったテクストも射程に入れ、永遠の未来に向かって投げ出された壮大な実験国家を逆照射してみると、「合衆国」という途方もないシステムのパワーの源のみならず、そこに潜む矛盾や不安といったものが如実に炙り出されてくるわけです。
 こうした問題意識のもとに、これまで8件の科研費研究を遂行してきました。ここでは、研究代表者を務めた6件の研究について概略を簡単に紹介しておきます。最近、遂行した研究テーマは、1) 「アメリカ文学におけるヒューマン・エンハンスメントの進化と『幸福の追求』の未来学」というものです。近年、とりわけ生命倫理の領域において、再生医療、遺伝子治療、バイオテクノロジー、脳神経科学などの先端科学技術の利用をめぐって、喫緊の問題系としてエンハンスメント論争が浮上してきたことは注目に値します。Human Enhancementとは、人間の能力や資質を先端生命科学技術によって標準以上に拡充し、完璧な人間の特質を創出することを意味します。人工器官など医学的な方法によって治療目的以上に運動能力を増強したり、薬物や遺伝子操作を通じて記憶力や認知能力を高めたりすることがそれにあたります。また、情動耐性や幸福感の現出や共感力の強化といった、人間の主体の根幹に関わることまでもがその射程に入ってきます。歴史的に見ても、セルフメイド・マンの伝統と徹底した個人主義を通じて、「幸福の追求」を掲げてきた合衆国では、「より強く、より美しく、より若く、より賢く、より気分よく」という志向はことのほか強いように思います。しかしながらその一方で、その深刻な影響に対する疑念も根強く残ります。生命操作時代の人間増強は、機会均等と自助努力の共和国の美徳の終焉を意味するのでしょうか。プロメテウス的願望によって理想的なデザイナー・ベビーを育み、リベラル優生学的アメリカン・ドリームを実現することは、「明白なる運命」としてのネオ・アメリカン・アダムの誕生を意味するのか否か、議論の種は尽きないでしょう。このように生殖、教育、医療、身体を巻き込んだ人類史上類を見ないパラダイム転換点に、アメリカ文学はいかに向き合おうとしているのでしょうか。エンハンスメントが惹起する多様な言説と情動のインターフェイスを、ネオリベラリズムの「幸福の追求」の政治学との関係において分析し、「文化としてテクノロジー」のあるべき姿を炙り出しました。
 2)「 20世紀アメリカ文学における進歩のデザインと破局の表象に関する文化史的研究」においては、20世紀アメリカの日常に浸透する進歩への眼差しと、惨事が引き起こす死への眼差しが、文学においてどのように絡み合い、フィードバックし合ってきたのか、両者が織りなすダイナミズムを多元的に浮き彫りにしました。3)「アメリカ文学における銃の表象とアメリカの神話の関係に関する研究」では、広大な空間の制覇に不可欠だった銃が、アメリカの神話と共振しつつ、いかに幾重にも屈折した表象を担ってきたかを分析しました。その過程で、銃がメディアと共犯関係を結ぶことにより、「撃つ/映す」シューティングの射程が、ジェンダー、エスニシティをも横断し、[非]歴史性の問題系にまで及ぶことが明らかになりました。4)「現代アメリカ文学における「アメリカン・サブライム」の表象とアウラの発現に関する研究」においては、入植以来アメリカ人を魅了してきた崇高なる新大陸に表象される神話的なアメリカ像が、テクノロジーの発展ととともに、表象不可能な「核」への想像力と接合されることにより、新たなアウラを帯び、根強くアメリカ的無意識を束縛し続けていることを考察しました。5)「現代アメリカ文学におけるメディアと死の関係」では、後期資本主義を特徴づけるシミュラークルの氾濫に着目し、不死性を帯びたイメージの横溢には、メディアの反復性と相まって亡霊性が宿ることを多様なテクスト分析を通じて明らかにしました。
 現在取り組んでいる研究テーマは、「21世紀英語文学におけるポストヒューマニズムの思想史的展開―物質としての生命」というものです。20世紀後半以降、自然科学の多様な分野でテクノロジーが加速度的に発展するとともに、人間とはいったい何かという、人間存在の限界を規定してきた境界が根底から揺らぎ始めました。そうした背景にあるのは、人間の生命が物質によって構築されている以上、自由に改変することが可能であり、人間の能力は無限に拡張できるという思考の枠組みです。その結果、自分のゲノムさえ特別扱いしない技術衝迫の遺伝子をもつ人類は、今世紀に入って、種として質的な変化を遂げる「人類以後の存在」に取って代わられるのではないかという不安に直面することとなりました。SFが現実のものとなりつつある現在、本研究は、21世紀英語文学を対象に、ポストヒューマンとヒューマンの錯綜した多次元的なインターフェイスに着目し、Foucault、Derrida、Deleuze、Agamben、Morton等、現代思想史の論脈をさらに拡充することにより、人間が自らの存在基盤の臨界にいかに向き合うか学際的に究めようとするものです。物質としての生命が織りなすアポリアを手掛かりに、思弁的実在論、マテリアル・エコ批評等も視野に入れ、「人類以後」をめぐる無意識を多様なテクストから抽出し、新たな共生の枠組みを提起しようとしています。

メッセージ

 フィクションを読み解くということは、文化を読み解くということに他なりません。広い意味での文学研究が文化研究の有効な手段となるのは、言語社会というものが、無媒介的に純粋に概念として存在するのではなく、具体的にテクストという媒体を通して多種多様なディスコースの集合体として存在するからです。もしこれらの文化の重要な根幹をなす「物語」が、虚構であるという理由で価値がないとして退けられるとすれば、私たちの日常の風景は随分殺風景なものになるでしょう。フィクションは現実を単に反映するものではなく、両者は互いを補完し合う関係にあります。つまり、フィクションが欲望というかたちで現実に働きかけ、かつまた生きられた体験としての現実がフィクションにフィードバックしていくというダイナミックな生成のプロセスがそこに見られるわけです。
 このように言語社会というものが、世界とはこのようなものだと言い聞かせる自他の「物語」が限りなく交錯し、互いに影響を与え合う場であるとすれば、そこは、個々の「物語」が様々な矛盾を孕みながらも集団的に束ねられた文化的ディスコースのフィールドだと言うことができます。実際のところ、文学・文化研究は、このように絶えず乱反射する文化的記憶の集積としてフィールドを研究する「フィールド・ワーク」に他なりません。国家の成り立ちからして、多様なレベルにおいて異種混淆的な要素に彩られたアメリカ文学・文化研究において、「アメリカ」という「物語」をいかに脱構築していくかということは、とりわけ大きな意義を孕んでいます。そのような意味において、「アメリカ」という大きな「物語」に対して、作家たちがいかなるカウンター・ナラティヴをテクストに潜ませているのかを読み解いていくのは、このうえなくスリリングな体験です。その体験を通じて、自分が本当に心から打ち込める研究対象を見出し、独創的なアプローチで研究の地平を切り拓いていく悦びを皆さんと分かち合うことができれば、研究者としてこれにまさる悦びはありません。
 大学院において担当していますアメリカ言語文化表象論、ヨーロッパ・アメリカ文化表象論特別研究では、文学・文化批評理論、アメリカン・スタディーズ、エコ・クリティシズムなどの視座を積極的に導入し、視野の広いアメリカ文学・文化研究者、並びに高度専門職業人の養成を目指しています。プレゼンテーションと質疑応答形式の授業を通じて、ポストヒューマニズム、メディア、スペクタクル、身体、消費、シミュラークル、メタフィクション、グローバリズム、テロリズム、幽霊、反復強迫、アウラなどをキーワードに、フィクションが、他の文化表象と相まって、「アメリカ」の生成にいかに関わってきたかを、テクストに即してきめ細かく探っていきたいと考えています。現代アメリカ文学・文化に興味のある人、メディア、視覚芸術、表象研究、パフォーマンス、およびアメリカの歴史・政経、アートにも関心のある人、英語に魅力を感じる知的好奇心の旺盛な人を歓迎します。
 最後になりますが、これまで主指導教員として指導した院生は、優に30人を超え、その多くが査読付きの学会誌に論文を掲載したり、学会の全国大会で発表するなど、目覚ましい活躍をしています。大阪大学など主要な大学で専任として、活躍している先輩たちも少なくありません。教育関係にとどまらず、放送界やジャーナリズムの世界でディレクターや海外特派員として第一線で活躍している人もいます。博士前期課程、博士後期課程いずれにも、実力のある院生が多数在籍していますので、いわゆるpeer groupとして、互いに切磋琢磨できる理想的な環境が整っています。自由闊達な学風のこの研究室では、教員、同僚、院生、学部生の人間的な繋がりがことのほか強く、文字通り苦楽を共にしながら研究を進めていく醍醐味を味わうことができます。課程修了後、大学で教鞭を取る先輩との交流の機会も多く、読書会などを通じて常に新鮮な問題意識を育むと同時に、各方面からのアドバイスを通じて自分なりの斬新な発想やアプローチに巡り合えることも少なくありません。こうした相乗効果により、なによりも院生の皆さんが成長を実感できる研究室であるよう、さらなる努力を続けていきたいと思っています。