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どうしてフランス語を学ぶのか?

金崎 春幸

どうしてフランス語を学ぶのか?

 東大の元総長である蓮實重彦氏は、25年ほど前に自ら編纂したフランス語文法教科書の序文で、「われわれが外国語を学ぶ唯一の目的は、日本語を母国語としていない人びとと喧嘩することである。大学生たるもの、国際親善などという美辞麗句に、間違ってもだまされてはならぬ」と書いておられます(『フランス語の余白に』朝日出版社)。まさに至言と言うべきですが、この「喧嘩」とは相手に難癖をつけたりすることではなく、外国人の言うこと書くことに本気で立ち向かい、格闘することなのです。もちろん生半可なことでは相手になめられてしまいますので、十二分の知識と努力、そして何よりも気概が必要になってきます。外国人の言うこと書くことをその背後にある考え方も含めて理解し、それに対してきちっと批判していかなければなりません。このことはあらゆる外国語について言えることですが、フランス語や文化は若い学生さんが正面切ってぶちあたる相手として不足はまったくありません。それだけフランスという国(フランス語圏の国や地域も含めて)は、日本とは異質の物や考え方を提供してくれるのです。後はもうこりごりとなってもかまいませんので、大学に入ったら一度フランスと格闘してみませんか?

男と女のお話

 ほんの一例ですが、フランス語や文化の特徴と言えるものを取り上げてみましょう。フランス語の名詞には男性と女性の区別があります。生物が男か女かいずれかであるのと同じように、本や机も性をもっています(ちなみに「本」livreは男性、「机」tableは女性です)。フランス人はあれが男性名詞、女性名詞と覚えていくわけではなく、冠詞や形容詞のかたちから自然に身についていくものなのです。ただし時にはフランス人でも間違えることがあり、「問題」problème は男性名詞なのでun problèmeをすべきところune problèmeと言っているのを聞いたことがあります。これは単なる間違いなのですが、フランス語のテクストを読んでいると微妙な例に出くわすことがあります。
 赤頭巾ちゃんの話はよくご存知のことと思いますが、この民話をフランスで最初に活字にしたのはシャルル・ペローという人です。ペローの『赤頭巾ちゃん』を読むと、最後に狼が狩人に撃たれて赤頭巾ちゃんが救い出される場面はなく、赤頭巾ちゃんが狼に食べられてそれで物語はおしまいとなるのに驚かされます。物語の最後の文はle méchant Loup se jeta sur le petit chaperon rouge, et la mangea「よこしまなオオカミは赤頭巾ちゃんに襲いかかり、食べてしまいました」となっています(フランス語テクストはガルニエ版)。原文のle petit chaperon rouge(赤頭巾ちゃん)は男性形なのですが、la mangeaのlaは「彼女を」という意味の女性形なので、なんとなくちくはぐになっています。これはもちろん、「赤頭巾」は一種の換喩(メトニミー)で、本体の「(赤頭巾をかぶった)女の子」を指すわけですから、別にかまわないのですが、フランス語原文で読むと不可思議な感じがします。つまり、赤頭巾ちゃんは男性と女性をあわせもった両性具有のように見えてしまうのです。

 男と女の観点から『赤頭巾ちゃん』の物語を捉えると、面白いものが見えてきます。最初に、赤頭巾ちゃんがどれほどお母さんやおばあちゃんに可愛がられているかが述べられますが、赤頭巾ちゃんの父親や祖父については何も書かれていません。物語全体でも父親や祖父は登場しませんし、話題にものぼりません。赤頭巾ちゃんももちろん女の子ですから、赤頭巾ちゃんの家族からは男性が完全に欠如していることになります。一方、狼は男性であり、しかも最初に登場するときにcompère le Loupと称されています。compère le Loupとはここでは単に「狼おじさん」くらいの意味ですが、compèreは元々「代父」、つまり洗礼のときなどに父親の役割をする人のことです。赤頭巾ちゃんの家族に父親がいない一方で、狼が父親代わりで登場するというのは面白いではありませんか。このようにすると、男性とも女性ともとれる赤頭巾ちゃんを軸にして、一方では女性に満ちあふれた家庭、他方では父親の代わりとなる男性のいる外の世界という対比が見えてきます。そして、赤頭巾ちゃんは男性に食べられてしまうのです。こんなふうにフランス語原文を見ていくと、語りつくされた観のある物語も違った相貌を現してくるのです。

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