{{div style='text-align:right;font-size:large', (不定期連載)}} {{div style='text-align:right;font-size:large', 春木 仁孝}} {{outline}} !!その1. ヌーヴォーの話  フランス語の形容詞ヌーヴォーnouveauは「新しい」を意味する形容詞です。フランス語の他の形容詞同様、男性形と女性形があり、男性形はヌーヴォーnouveau、女性形はヌーヴェルnouvelleとなります。(-eauと言う語尾が-elleと言う語尾と交替することについては、また別の機会に説明します。)今日は、この「新しい」という形容詞が使われている街で見かけたフランス語の話をしましょう。  新大阪駅の構内に「カフェ・ヌーヴェル」と書かれた喫茶コーナーがあります。出張などで東京から帰ってきてホームから階段を下りると目にとまる位置にあるのですが、目にするたびに気になります。フランス語でもご丁寧にcafé nouvelと書いてありますが、この名前には実はいくつかの間違い含まれています。caféという単語はフランス語ではコーヒーとコーヒーを飲む場所であるカフェを意味しますが、この単語は男性名詞です。またヌーヴェルはカタカナだけでは女性形のヌーヴェルかと思ってしまいますが、アルファベットではnouvelleではなくnouvelと書かれています。この形も実は存在するのですが、男性第二形と呼ばれて母音で始まる男性名詞の前でのみ用いられる形なので、café nouvelのように用いることは出来ません。例えば「年」を表す男性名詞anの前に男性形のnouveauを置くと、ヌーヴォー・アン(×)nouveau anとなって母音が続くので、そのようなときは男性第二形のnouvelを付けてnouvel anヌーヴェラン「新年」とします。フランス語は単語の間での母音連続を嫌う言語なのです。(この現象は、英語でa bookに対してan appleとするのにちょっと似ています。) {{div_begin align="center"}} {{ref_image nouveau 3人.jpg}} {{div_end}}  もう一つの間違いは形容詞の位置です。フランス語では一般に形容詞は名詞の後ろに来ますが、この「新しい」という形容詞はよく用いられる他のいくつかの形容詞(bon, jeune, etc.)と同様に名詞の前に置くのが普通です。すると、ここで問題にしている「カフェ・ヌーヴェルcafé nouvel」は、そもそも「新しい」という形容詞が名詞の後ろに来ているところから間違っています。場合によっては「新しい」という形容詞が名詞の後ろに来ることもあるのですが、nouvelという形は次に来る母音で始まる男性名詞との母音の連続を避けるために存在しているのですから、絶対に名詞の後ろには来ません。以上をまとめると結局、正しいフランス語ではヌーヴォー・カフェnouveau caféとなるのです。  nouveauも場合によっては名詞の後ろに置かれることもあると言いましたが、そんな表現を一つ見てみましょう。皆さんはボジョレー・ヌーヴォーbeaujolais nouveauという言葉を知っていますか?毎年11月頃になるとあちらこちらでこのボジョレー・ヌーヴォーの広告が見られるようになります。これは「ボジョレーワインの新酒」という意味です。ワインは何年間か熟成させてから飲むのが一般的ですが、ボジョレーは早くも仕込んだその年に飲めるワインで、毎年このワインが店頭に並ぶのを待っている人がいます。ただし毎年、このワインが売られるそれぞれの国の11月の第3木曜日が解禁日と決められています。フランスと日本の間には8時間の時差(夏時間では7時間)があるため、日本では原産地のフランスよりもずっと早く、前もって空輸されたこのボジョレーを飲むことができます。  nouveauという形容詞を、beaujolais nouveauのように名詞の後ろに置くのは特別の場合だけです。この場合はボジョレーというワインの「今年仕込んで飲めるようになった新酒」というところに力点があるので、名詞の後ろに置かれているのです。(beaujolaisは産地の地名に由来する名詞ですが、「ワイン」vinという名詞が男性名詞なので、その一種であるボジョレーも男性名詞扱いになり、beaujolais nouveauとなります。ちなみに「自動車」を指すvoitureは女性名詞なので、「新しいトヨタ車」ならune nouvelle ToyotaのようにToyotaは女性名詞扱いになります。)  もう少しnouveauの話しを続けましょう。一時、ヌーヴェル・キュイジンヌという言葉をよく聞きました。女性名詞であるキュイジンヌcuisineには「台所」の意味もありますが、ここでは「料理」のことを指していて、ヌーヴェル・キュイジンヌnouvelle cuisineは日本(の懐石)料理の影響も受けた、新しい傾向のフランス料理のことを言います。きっとこの表現から思いついたのだろうと思うのですが、あるとき食品の宣伝ポスターに大きくヌーヴェル・グーと書いてあるのを見ました。グーgoûtというのは「味」のことです。今までにない「新しい味」と言いたかったのでしょうが、goûtは男性名詞なのでヌーヴェルではなく、ヌーヴォー・グーnouveau goûtと言わなければいけません。  カフェ・ヌーヴェルやヌーヴォ−・グーという間違いが起こるのは、名詞に男性名詞と女性名詞があって、形容詞も場合によっては男性形と女性形で発音が大きく変わることがあるということを、日本語と英語しか知らない人は想像ができないからでしょう。形容詞もフランス語では名詞の後ろに置くのが一般的ですが、一部の形容詞は名詞の前に置くのが普通であり、またその名詞の前に置かれる形容詞も場合によっては名詞の後ろにも置ける、などというのもかなり分かりにくい現象です。(この問題についてもまた別の機会に書く予定です。)しかし、間違いが起こる最大の原因は生半可な知識しかないのに、フランス語の表現を使おうとするからです。少し分かっている人なら辞書や文法の本で確認するか、あるいは専門家やネイティブの人に聞けばいいものを、その手間を惜しむからです。聞くは一時の恥、聞かぬは一生の恥というのは、まさにこのことでしょう。これからも、街で見かけた正しいフランス語はもとより、いろいろな(誰かの一生の)恥も紹介していく予定です。(2009.04.10) !!その2. プチ・コワンpetit coinに行く?  以前、Le petit coin というレストランが私の利用する駅の近くにありました。petit はプチというカタカナで最近いろんな表現に使われていますが、「小さい、かわいい」といった意味で、coin は英語のcorner に相当します。「ちょっとした落ち着けるコーナー」のようなつもりで付けた名前でしょうが、残念ながらフランス語では Le petit coin は「お手洗い」を意味する表現です。レストランの名前にはよく前置詞のà を付けるので、丁寧にも Au petit coin としているレストランも日本にはおそらく複数存在しているようですが、フランス語では普通 aller au petit coin 「お手洗いに行く」という形でよく使われるので、Au petit coin とすると、もうこれはお手洗いという意味でしかありません。  ただ、ネットで調べてみるとカナダにはAu petit coin Breton という名の結構有名らしいレストラン兼ホテルが存在しているようです。フランス人の方に確かめましたが、やはりこの名前も変なようです。ひょっとするとカナダのフランス語では、le petit coin をお手洗いの意味ではあまり用いないのかもしれませんが、その点については未確認です。  もちろん coin だけだと「コーナー、片隅、近所」などの意味になります。例えば子供が暴れていたりすると、Va au coin ! と言いますが、これは一種の罰で、「隅でおとなしくしていなさい、立ってなさい」というような意味です。いずれにしろpetitがあるかないかで意味が変わるわけです。またお手洗いを表す表現は、他にも les toilettes, les lavabos, les W.-C. などがありますが、一般に複数形で言います。petit coin も aux petits coins のように複数形でも使われます。 {{div_begin align="center"}} {{ref_image プチコワン.jpg}} {{div_end}}  トイレの話が出たからというわけではありませんが、キュードパリ cul de Paris という名前の結構有名らしいお店があります。訳せば、「パリのおしり」です。婦人物のおしゃれな服や小物などを売っているお店のようですが、やっぱりフランス人が見たら吹き出すでしょう。遊びのつもりで付けた名前なのかもしれませんが、もし日本語で「神戸のおしり」とか「京都のおいど」と書いてあったら、いくらおしゃれな服が目についても若い女性は入りづらいことでしょう。カタカナ表記に関しては例によって長く発音しないところが伸ばされてキューとなっていますが、せめてキュドパリだと、キュッと引き締まったおしりという感じですが、キュードパリではなんか垂れ下がったおしりという感じです。(例によってと書いたのは、例えばカフェオーレとかムートンのように、フランス語では長く発音しないところがカタカナではなぜか長くなっていることがよくあるからです。)ところで私は最初にキュードパリという名前を聞いたときには別のフランス語 queue de Paris かと思ってしまいました。これだと「パリのしっぽ」で面白いじゃないかとちょっとフランス語を知っている人は思うでしょうが、これだとしっぽはしっぽでも男性にしかない「しっぽ」のことになってしまい、フランス人も吹き出す、いえ赤面してしまうでしょう。店名を変えるのがベストですが、せめてカタカナ表記を改めることお勧めします。 {{div_begin align="center"}} {{ref_image culdeparis.jpg}} {{div_end}}  キュと言えば、これもかなり有名なブランドに cocue コキュというのがあるようです。靴を中心に女性物を販売するお店のようですが、おしりとは関係はありませんが、これもかなり困った名前です。普通は男性形のcocuがよく使われますが、これはちょっと昔風の言い方だと「妻を寝取られた男」という意味です。今風に言えば、「妻に不倫をされた夫」ということになるでしょうが、ニュアンスとしては「他の男性に妻を奪われた情けない男/馬鹿な男」といったところです。誰かを馬鹿にするときなどに、ののしり言葉としても使われたりします。cocue はその女性形で男性形ほどは使われませんが、「夫を他の女性に奪われた女」という意味になります。いくらおしゃれな靴でも、cocue という文字が入っている靴をフランスで履くのはかなり勇気がいることでしょう。腹いせに値段の高い靴を買って履いているのよ、という意味かもしれませんが。  「キュー・ド・パリで買った服を着て、コキュのミュールをはいて、今日はオ・プチ・コワンに行って食事です」とフランス語で言ったら、Ça va pas la tête ! 「頭おかしいんとちゃう」と言われること請け合いです。  それにしてもよく理解できないのは、このような店名やブランド名を付けた人は果たして意味が分かっていてそう名付けたのか、という点です。(2009/05/01) {{div_begin align="center"}} {{ref_image 靴.jpg}} {{div_end}} !!その3. ケーキ屋さんでフランス語の勉強  私が住んでいるのは西宮市でも芦屋に近い地域で、なぜかやたらとケーキ屋さんすなわちパチスリpâtisserieの多いところです。最近はケーキ職人パチシエpâtissier(女性ならパチシエールpâtissière)を目指す人も多いようですね。これらの言葉は、語源的にはpâte、つまりパイやタルトに使う小麦粉などを練った生地から来ていて、ペーストやパスタも同じ語源です。ケーキ屋さんの名前にはフランス語がよく使われていますが、近所のケーキ屋さんの中でも私のお気に入りはラ・フィーユ”La fille”というお店です。これは「女の子」とか「娘さん」という意味です。英語で ”The Girl” とか ”The Daughter” とか名前をつけてあったとしたらちっともケーキ屋さんらしくありませんが、フランス語だと日本では意味が分からないせいか、一見格好がつくように見えますが、フランス人の目には奇妙な店名であることには変わりありません。店名にもかかわらず、時々奥の厨房から出てくるパチシエが体格のいいおじさんなのもちょっと笑ってしまいます。  フランス語といってもオーナーや何らかの由来のある人名のこともあります。京阪神で有名なアンリ・シャルパンチエHenri Charpentierや、関東地方に展開していたルノートルLenotreなどは人名です。Charpentierは英語のカーペンターと同じで、「大工、指物師」を意味する名詞が名字になったものですし、Lenotreは元々はLe nôtreで、所有代名詞「私たちのもの」が名字になったものです。(因みに名字に定冠詞が取り込まれている例は少なくありませんが、それについてはまたの機会にします。)残念ながらルノートルは、Lenotreさんの死去に伴って最近日本のお店はすべて閉店したようです。やはり今はありませんが、以前、家の近くにアントナン・カレームAntonin Carêmeというケーキ屋さんがありました。これは19世紀の初頭に各国の王族などに仕えて活躍した料理人かつパチシエだった有名なフランス人の名前です。おそらくこの人に因んでだと思いますが、カレームという名前のレストランやケーキ屋さんがあちこちにあるようです。このカレームという名字はキリスト教暦の四旬節carêmeから来た名前だと思われます。  さてそろそろケーキ屋さんの中にはいることにしましょう。  いわゆるケーキはフランス語ではガトーgâteauと言います。チョコレートケーキはガトー・オ・ショコラgâteau au chocolat、チーズケーキはガトー・オ・フロマージュgâteau au fromageとなります。喫茶店でもこれらのケーキ名はフランス語で書いてあることが多くなってきたので、見たことがある人もいるでしょう。  昔から親しまれているケーキと言えばモンブランでしょう。これは言わずとしれたアルプスの名峰モンブランLe Mont Blancの形に似ているからです。モンブランは「白い山」ということです。山はモンターニュmontagneといいますが、山の名前のときはmontを使います。したがって富士山はLe Mont Fujiとなります。ついでながらフランスとイタリアの国境はモンブランの頂上を通っているそうです。さて、次はミルフィーユです。これはフランス語で書くとmillefeuilleとなります。日本語ではもうミルフィーユで定着してしまいましたが、これは本当の発音からはかけ離れています。ミルは良いのですが、フィーユというとケーキ屋さんの名前のところであげたフィーユfille「女の子」を想像してしまい、ケーキ屋さんで「ミルフィーユください」と言うたびに、mille filles「たくさんの女の子」くださいと言っているようで、一人で気恥ずかしくなってしまいます。フランス語の発音に少しでも近づけるためにはミルファイユ、またはミルフェイユにしたいところです。feuilleは「木の葉」や「薄片」を意味する言葉で、英語のsheetのように紙などを数える時にも用います。語源的にはアルミホイルのホイルと同じです。ここでは、薄いパイ生地を指しています。milleは「千」で数が多いことを表していますので、結局何枚もの薄いパイ生地を重ねた様子を表したケーキの名前です。  フランスでは定番になっていますが、日本でも最近は見かけるのがルリジュ―ズreligeuseです。これは「修道女」という意味で、大きいシュークリームの上に小さなシュークリームがのっかったようになっていて、その上にクリーム(フォンダンfondantと言います)がかかっていて修道着を来た修道女のように見えるのでこう呼ばれています。そういえば名前はフランス語から来ているのに、シュークリームそのものはフランスではあまり見ないような気がします。これは正しくはchou à la crèmeで、クリームの入ったキャベツという意味です。形がキャベツに似ているからでしょうか。フランスではシュークリームよりも、細長い形のエクレアéclairの方が主流です。  ところで、最近また新しいケーキ屋さんが近くにオープンしました。Bon nouvelleとLa gâteauという表示があります。多分最初のほうが店名でしょう。でもこれはどちらも間違いです。nouvelleは第1回目にお話しした「新しい」という意味のヌーヴォーnouveau という形容詞の女性形と同じ形ですが、ここでは名詞で「知らせ、消息」というような意味です。多分、ケーキ好きのみなさんへの「良いお知らせ」というつもりでしょうが、形容詞の女性形と同じ形をしていることからも推測できるように、nouvelleは女性名詞です。ですから形容詞「良い」のボンbonも女性形のボンヌbonneとしなければなりません。さらに、ケーキgâteauは男性名詞ですので定冠詞をつけるなら男性形のleをつけてLe gâteauとしなければいけません。(どうして店名のBon(ne) nouvelleの方には定冠詞が付いてないのかとか、les gâteauxと複数にした方が良いだろうとかはここでは深く追求しないでおきます。)形容詞の「新しい」nouveau/nouvelleや「美しい」beau/belle などで男性形の語尾が-eau、女性形の語尾が-elleとなっていますが、-eauという語尾を持つ名詞はすべて男性名詞、-elleという語尾の名詞はすべて女性名詞と思って間違いありません。(2009/05/14) !!その4.カタカナとフランス語  前回、ケーキのミルフィーユが実際のフランス語の発音とはかけ離れていることを指摘しました。またキューがculではなく、queueを思わせたことにも触れました。もともと外国語の発音をカタカナで表すのは無理があるわけですが、それを分かった上でそれでも許せないカタカナ表記や、またとんでもないカタカナ表記があります。今回はそんな表記の例のお話しをしましょう。  私は主としてフランス語を対象に言葉の研究を専門にしていますので、街でカタカナを見かけるとすぐに、何語かな、なんという意味かなと考えてしまいます。これまでに見たカタカナ表記で一番のけぞってしまった例は、福岡で見かけた「ボンラパス」という表記です。食料品を中心としたスーパーマーケットのようですが、最初はフランス語とは思いませんでした。ボンがbonだとしても、この状況でラパスに近い音のフランス語が思い浮かばなかったからです。しかしよく見るとBON REPASというアルファベットが書いてありました。repasは食事という意味のフランス語です。つまり「良い食事、美味しい食事」というつもりのようです。これだけ原音と離れた表記も珍しいでしょう。カタカナで書くならせいぜい「ボンルパ」です。語尾の-sはフランス語では一部の単語を除いて発音されることはありません。またeの文字はrepasでは発音されませんが、発音される場合は「エ」であって、「ア」になることは絶対ありません。どうして「ラパス」というカタカナになったのか、かなり理解に苦しみます。フランス語にはrapaceという単語があって、これなら「ラパス」と読めます。ただし「猛禽」という意味です。もしbon rapace「良き猛禽」だと、スーパーマーケットが消費者に襲いかかってくるようです。  フランス語をカタカナにした場合によくある間違いは、発音しない語尾の-eを「エ」と読んでいるものです。よく知られた店名から例をあげると、ファッション専門店のビブレがそうです。これは「生きる、生活する」という動詞のvivreをカタカナにしたものですが、語尾の-eは発音しないので、vにヴの表記を使わないのなら「ビーブル」でしょう。ウィキペディアのビブレの項に「日本語の発音ではビブルのほうが近い」と書いてありますが、フランス語では一定の環境で最後の母音がやや長く発音されますので、「ビブル」も変で、やはり「ビーブル」が一番フランス語に近い表記です。 これも発音しない語尾の-eを「エ」と発音しているのは、大阪の人なら知っている人も多い大阪駅構内のショッピングモール「ギャレ大阪」です。これも最初はフランス語とは思いませんでしたが、ある日「そうか、フランス語の駅gareのつもりか」と気がつきました。これも正しくは「ガール」あるいは「ギャール」です。garerギャレ「(車などを)止める」という動詞があり、gare「駅」は列車やバスを止める場所、garageギャラージュ「自動車修理工場、ガレージ」は車を止めるところです。路線バスの停留所はarrêt d’autobusアレ・ドトビュス(屋根付きの場合はabribusアブリビュス)と言いますが、長距離バスなどの発着場はgare routièreギャール・ルチエールと言います。因みに英語の「駅」と同じ綴り字のstationスタスィオンは地下鉄métroメトロの駅に用います。gareに戻りますが、阪急電車のラガールカードのラガールは、la gareと女性定冠詞を付けた「駅」のことです。電車に乗るカードなのにどうして「駅カード」なのか、後半がどうして英語なのかというあたりはつっこみたくなりますが、少なくともgareの発音に関してはJR西日本に対して、阪急電車に軍配があがります。なお、フランス語ではga-とca-はそれぞれ、ガとギャ、カとキャの間ぐらいの音で発音されます。  ところで、阪急宝塚線で梅田方面から石橋というルートで阪大に通っている人も多いでしょうが、下車駅の石橋の一つ手前、蛍池駅の駅前西側にビルがありますが、そのビルの名前を知っていますか。このビルにはフランス語で「蛍」を表すLucioleという名前がついているのです。このLucioleリュシオルという単語は響きもきれいで、ビルの名前としてはちょっとしゃれた感じで良いじゃないかと思ったのですが、カタカナがいただけません。発音しない語尾の-eを発音してルシオーレとなっているではないですか。このカタカナで幻滅です。さらに梅田よりの豊中の駅前西側のビルの名前もフランス語です。このビルにはフランス語のbe動詞にあたるÊtreという名前がついています。因みに神奈川のJR川崎駅の駅ビルも「川崎be」といいます。いずれも命名者の意図は分かりませんが、日本語になおすなら「ですビル」でしょうか。まあそれはいいとして、豊中のビルも発音しない語尾の-eを発音して、エトレと書いてあるので、またか、と思ってしまいます。カタカナにするならエートルぐらいにしてほしいものです。  話は変わりますが、リクルートが出している就職情報誌に「トラバーユ」というのがあります。これはフランス語で「仕事」を意味するtravailのつもりです。しかし、このフランス語の発音をカタカナで書くならトラバイユです。命名者はフランス語はよく知らなかったのでしょうが、辞書は見たのかもしれません。発音記号では[travaj]と記されています。確かに「バ」の次は「ユ」のように見えます。しかし発音記号というのは、音声学的に厳密に音を表しているのではありません。それぞれの言語の約束に従って使われているのです。ですからたとえば同じ[t]という発音記号でも、英語の場合は舌先を歯茎につけて発音する[t]タイプの音を表し、フランス語では舌先を上歯の裏につけて発音する[t]タイプの音を表しているのです。[j]は「ユ」に近い音を表してはいますが、フランス語ではアやエの音の後では[j]の前につなぎのために軽く「イ」の音がはいるのです。太陽soleilも、ソレーユではなくソレイユとなります。(2009/07/03) !!その5 美容室「了解」に行って、レストラン「口」に行く  不定期連載と銘打ってはいたものの、随分と長い間、連載を中断してしまいました。少しやり方に変更しようかとも考えていますが、とりあえず再開第1回目は今までの形を踏襲したいと思います。  これまでにもお店の名前のフランス語を取り上げて来ましたが、フランス語の名前をつけるのが好きな業種の一つは美容院ではないかと思います。全国の美容院の名前を拾っていけばたくさんのフランス語が見つかることでしょう。この間、駅で電車を待っているときにD’accordという文字を見かけました。美容院です。d’accordはフランス語で「承知した、同意した」などの意味を持つ形容詞句です。accordは音楽のコード「和音」などとも関係のある名詞です。Je suis d’accord avec vous.というと、「私はあなたの考えに賛成です」という意味で、日常的にはd’accordだけで「分かった、了解した」の意味でよく使われます。話し言葉ではdacと短縮した形でも使われます。この美容院は、言ってみれば<美容院「了解」>というわけです。客の要望を了解したと言いたいのでしょうか。美容院と言えば、私の家の近くには美容院”Croire”というのがあります。croireは「思う、考える、信じる」という動詞です。今度は<美容院「考える」>です。文字通り、ちょっと考えてしまいます。こちらは人間ではなく犬の美容院、つまりトリミングのお店でl’âme de Parisというのを見かけました。訳せば「パリの魂」です。これも表現としては間違っていませんが、例えばパリの紹介をしていて「ノートルダム、これぞパリの魂だ」のような感じで使うのならいいのですが、「このお店/このお店のトリミングはまさにパリ風です、(あるいは)そんな感じのすぐれた技術です」のようなつもりなら、日本人によくある直訳的思い違いです。  今の例にちょっと似ているのが、”Vie de France”というパン屋さんの名前です。たぶん「フランスの生活→フランス的な生活」のようなつもりで、「あなたも当店のパンを食べればフランス人の生活が味わえます。」とでも言いたいのでしょう。フランス語としても少し変です。「フランスでの生活」なら、前置詞はdeではなくenで、la vie en Franceです。あういはla vie des Françaisなら一応「フランス人達の生活」という意味で表現は成り立つでしょうが、(la) Vie de Franceではまるでフランスに命があるみたいで、「フランスの人生」とでも訳さないといけないでしょう。<パン屋「フランスの人生」>で買ったパンを食べながら、フランスの来し方(歴史)について思いを馳せている人の姿が目に浮かびます。なんかちょっと哲学的ですね。 フレンチレストランの名前にも当然フランス語はよく使われています。今もあるのかどうかは知りませんが、以前chien grippéという名のレストランがあったそうですが、文字通り「インフルエンザにかかった犬」です。何かいわれがあるのでしょうか。しかしフランス人が見れば吹き出すこと間違いないですね。鳥インフルエンザgrippe aviaireというのはありますが、犬もインフルエンザにかかるのか、ちょっと気になるところです。  ところで、居酒屋でもしゃれたレストランでも注文した品が来る前に最初に軽い1品が出てくることがありますね。日本語ではお通し、突き出し、先付けなどと言われるものですが、フランス語ではこれをamuse-gueuleまたはamuse-boucheと言います。amuser「楽しませる」という動詞と、bouche, gueule「口」が複合された言葉で、「口を喜ばせるもの」という意味です。最近はフランチレストランで、「本日のアミューズでございます」などという言い方も時々耳にします。ところで、boucheは人間の口を指す言葉ですが、gueuleの方はもともとは動物の口を指す言葉で、日常語では人の「口」や「顔」の意味でもよく使われます。「お通し」に対してはamuse-gueule の方がよく使われると思いますが、上品に言いたくてamuse-boucheとも言うようです。確かに、誰かに「黙れ!」と言いたいときにはFerme ta bouche !と言うよりもFerme ta gueule !と言う方が迫力があります。どうしてこの話をしているかというと、あるとき「ギュール」というフレンチのお店があると聞きました。一瞬、どういう意味かと考えましたが、おそらくgueuleのつもりだろうと思って調べるとやはりそうでした。<レストラン「口」>です。おまけにそれも動物の口です。日本語でboucheと gueuleのニュアンスを言い分けることはできませんが、gueuleを人の口や顔の意味で使うのは基本的には、上の「黙れ」のように何らかの表現の中でです。いずれにしろgueuleはどう考えてもレストランの名前としては滑稽です。たとえboucheを使っていたとしても、<レストラン「口」>はやっぱり変です。このレストランのお料理は美味しいそうですから、名前が残念です。ちなみにgueuleの発音はカタカナにしにくい音ですが、私ならば「ゲール」、一歩譲っても「グール」ぐらいでしょうが、「ギュール」ではあまりにもフランス語の発音からかけ離れています。  boucheで思い出しましたが、フランスのCahorsという町に行ったときにホテルで勧められたレストランに行きました。”L’O à la bouche”という名前でした。フランス語でavoir l’eau à la boucheと言うと、美味しそうなものを前にして口のなかにつばきが湧いて来た状態を表します。eauは水ですが、場合によっては雨や涙、つばきなどを表すこともあります。「つばき」という日本語はレストランの名前としてはあまりきれいではありませんが、フランス語では「水」eauという単語が使われているので具体性が薄れます。それでも”L’Eau à la bouche”とするとやはりちょっと直接的な表現になってしまうところを、同じ発音のOの文字で置き換えて言葉遊びにしたところがフランス的です。同じ名前のレストランはフランス語圏にはいくつかあるようです。(2012/2/6)